本稿では「発言と行動を一致させること」や「不祥事に対して迅速で公平な対応を行うこと」の重要性について、スタートアップ企業をとりまく環境やジャフコグループ株式会社で起きた性加害を事例に信頼性の観点から取り上げています。
多くの人が、職場で人間関係のトラブルが起きたとき、同僚や上司、人事部門などに助けを求めます。
組織の規模や業界にかかわらず、「困ったことがあれば相談できる」という安心感は重要です。
しかし、いざ相談しようとすると、こんな不安が頭の中を通り過ぎるかもしれません。
- 「面倒な人扱いされて、キャリアが不利になるのではないか」
- 「相談がうまく受け止められず、むしろ問題を起こしている人の方が優遇されるのでは」
- 「事情を説明したせいで状況が複雑化し、さらに悪化するリスクがあるのでは」
こうした不安は、単なる取り越し苦労ではありません。「働きやすい環境」とウェブサイトで大々的にアピールしていても、実際にはまったく違う風土が蔓延している組織は珍しくないからです。
もし、自分がそんな組織に属していたら「相談しても何も変わらないんだろうな……」と思うのは当然です。
本稿では、このように組織の「言っていること」と「やっていること」が矛盾しているために信頼が失われる現象を探ります。
より具体的には、DEIの側面に焦点を当てながら、その背後にある“スピン(spin)”の問題を取り上げます。そして、環境をより良くするうえで、どんな行動を取る必要があるのかを考えていきます。
目次
1. 多様で公平で包括的な環境:スタートアップ企業に関するDEIの例
DEI(Diversity, Equity & Inclusion)は、多様な背景や属性を持つ人たちが、対等な機会を得ながら安心して意見を交わし、実力を発揮できる環境を作ろうとする考え方です。
企業が採用パンフレットで「国籍や性別、年齢、障がいの有無を問わず、多様な人材を歓迎します」と謳うのはその一例です。
私の研究対象であるスタートアップ・エコシステム(起業環境)でも、このDEIの重要性が2024年以降、ますます高まっています。
きっかけのひとつになったのは、NHKが2024年8月に報じたスタートアップ関係者へのセクシュアル・ハラスメント問題です(関連調査結果)。
この報道の影響もあり、従来からあった動きに加えて、業界としてハラスメントを減らそうとする取り組みが加速しています。
例えば、
- 日本ベンチャーキャピタル協会によるハラスメント根絶に向けたポリシー策定やDEI調査
- Eight Roads Ventures Japan及び一般社団法人スタートアップエコシステム協会によるDEI勉強会や関連提言
これらは、スタートアップ業界が抱える問題と正面から向き合い、本格的な改善に踏み出そうとしている表れだといえます。
実際、JVCA(日本ベンチャーキャピタル協会)の調査では、企業やキャピタリストに占める女性比率が前回より上昇したなど、前向きな変化を示すデータも見られます。
2024年ダイバーシティ(DE&I)調査の結果ならびに JVCAのDEIに関する取組について :日本ベンチャーキャピタル協会
2. DEI「スピン」という落とし穴
2.1 DEIスピンとは
しかし「表向きはDEIを宣言している、実際の行動が伴わない」ケースもあり、この現象は「DEIスピン」とも呼ばれています[1]。
スピンとは、英語のカジュアルな表現で「都合の悪い部分は隠し、いかにも正しいことをしているように見せること」を指します。政治家が曖昧な言葉選びでスキャンダルをやり過ごし、企業が不利なデータを隠して良い部分だけを強調するといった行為です。
こうした「うまい言い回し」や「取り繕い」が常態化すると、人々は「何か隠しているのでは?」と敏感に察知するようになります。すると、言行不一致から生まれる不信感が一気に広がり、結局「彼らは偽善的だ」というレッテルを貼られてしまうのです。
2.2 著者が目の当たりにしたDEIスピン
スタートアップ関係者が「DEIを推進し、ハラスメントを防ぐ」と積極的に表明している様子を私自身も見てきました。そんな中でDEIスピンに遭遇したのです。
背景には、東証プライム上場企業(8595)のジャフコグループ株式会社(以下ジャフコ)で起こった性加害事件が関連しています。報道結果を元にして私が実名でWikipediaに追記し、そのことをSNSで共有しました。透明性を高めるためです。
すると、先ほど紹介した「スタートアップエコシステムのDEI改善のための提言」に署名している2名の方から以下のような反応がありました。
- 「Wikipediaに書くと、セクハラ問題が広く知られてしまう」
- 「ジャフコ社員がこれを見ると傷つく」
- 「どうして記事を更新したとSNSで公表したのか」
これらは問題を「外に広めたくない」「なるべく表に出さない方が得策だ」という暗黙のメッセージに他なりません。
ジャフコという業界トップ企業の不祥事が周知されることは、健全な環境を作るための重要な一歩ですが、真逆の行動と言えます。
まさに、DEIを重視しているように見せかけながら、自分たちにとって都合の悪い点は伏せようとするDEIスピンの典型例と言えるでしょう。
3. 言行不一致がもたらす信頼の崩壊
3.1 「言っていること」と「やっていること」の矛盾
DEIスピンが厄介なのは、組織の信頼が大きく傷つく点にあります。経営学の研究でも「Talk(発言)とAction(行動)の不一致」が、組織の評判を損なう大きな要因になると指摘されています[2]。
「約束を破っている」という評価を受けることで、偽善だとみなされるリスクが一気に高まるからです。それと同時に、DEIへの取り組みそのものが形骸化してしまい、ハラスメントや差別を見過ごす危険性も高まります。
たとえば、「相談制度はあるのに、実際には被害を訴えると組織が隠そうとする」「公平な対応を掲げているのに被害者への手当てが極めて不透明」などの状況です。
3.2 企業の言行不一致における3つの種類
このような矛盾に満ちた行動を「企業の言行不一致(Corporate Hypocrisy)」という概念で説明し、3つの種類に分析した研究があります[3]。
第1が、行動的不一致(Behavioral Hypocrisy)です。単純に「掲げた方針」と「現場の行動」がかみ合っていない場合です。必ずしも意図的な欺瞞があるわけではなく、状況や制約による矛盾を示します。例えば、品質重視を掲げる企業が、生産トラブルで不良品を出荷してしまう場合です。
第2に、道徳的不一致(Moral Hypocrisy)があります。これは組織が「自分たちは道徳的に正しい存在だ」と偽って見せかける意図的な欺瞞です。例えば、環境保護を宣言しながら実際は違法行為をしているケースなどが該当します。
最後が偽善帰属(Hypocrisy Attributions)です。事実として言行不一致であるだけならず「あの組織は本質的に偽善的だ」と周囲から認知されている状態です。組織全体が不信感の泥沼にはまり込む、深刻な事態となります。
では、信頼を失った深刻な事態となる前に、組織はセンシティブな問題にどう取り組むべきでしょうか?
4. 不祥事への「防衛的な対応」と「公平な対応」
4.1 問題発覚時の2パターン
セクシュアル・ハラスメントに関する研究を例に取ると、問題が発覚したときの組織の対応パターンは大きく二つに分けられます[4]。
一つは「防衛的に矮小化させる対応 (Minimizing)」です。例えば、社内の関連部署が調査を一切行わない、加害者とされる人を守る、被害者に対して訴えを取り下げるよう働きかけるケースです。
もう一つは、被害にあった人へ「素早い公正な対応 (Responsive)」をする場合です。訴えに基づいて調査を開始したり、被害にあった人に対して心理的なサポートも提供する場合などです。
具体例として、ジャフコで起こった性加害事件について、関連報道をベースに時系列で考察します。分析対象は、事件に関連したジャフコの声明です。
4.2 ジャフコ性加害事件の報道時系列
2024年10月11日 東京新聞:女性契約社員が執行役員らから性加害を受け、その後不当に雇い止めされたと訴えていることが報道されました。ジャフコ広報担当は「セクハラと雇用契約終了との間に関連は全くない」と回答しており、企業としての責任について「お答えは差し控える」としています。
10月23日 東洋経済:加害行為が社内で明るみになったあと、被害を受けた方が望んでいない形で社内対応が進み、当時の月額報酬100万円が50万円となり最終的に雇止めになったと記載されています。加害行為が発覚した一連の対応について、ジャフコは「女性の人格を否定したり、雇用条件に関して一方的に迫ったりしたという認識はない」と説明しています。
11月1日 日経新聞:ジャフコがハラスメントの内部通報制度を設置することが紹介されました。元契約社員に対する性加害については「セクハラ行為が生じたことを真摯に受け止め、深く反省する」と述べています。
11月13日:ジャフコの公式サイトにて内部通報制度を設置する旨のプレスリリースが発表されました。文書の中に「昨今、ベンチャーキャピタル・スタートアップを取り巻く業界において、ハラスメントへの対応が課題となっている」と記載されています。直近で報道されている、ジャフコ社内で起きた性加害についての言及はありません。
12月13日の東京新聞:上記の内部通報制度の設置について、ジャフコ側からの連絡はなく、加害行為に関する謝罪もないと記載されています。ジャフコ広報は「女性に対策を案内していない。セクハラと雇用契約終了との間に関連は全くない」と回答しています。ジャフコへ投資している関係者に対しては「ハラスメント防止に引き続き努める旨を説明した」としています。
2025年1月16日の東洋経済:加害を受けた事実が社内で知れ渡ることのない対応を求めていた被害者に対して、月例ミーティングの場で加害男性に公開謝罪させたとされています。ジャフコは「公開謝罪」は本人の了承を得ており「再発防止のために適切な対応だった」としています。
報道の様子を踏まえると、以下の3点が指摘できます。
- 被害を受けた方への「素早く公正な対応」がどこまで行われたかは不明
- 被害者が望んでいなかった対応(例:公開謝罪)を行っている
- 被害者に連絡はしていないが、出資者やメディアへの連絡・対応はしている
よって、被害者に対する支援的な行動を指摘することは難しく、「防衛的に矮小化する対応」だと疑われる余地が十分にある状態だと言えるでしょう。
5 信頼はどのように回復できるのか
5.1 真摯な対応が鍵を握る
ジャフコの性加害事件は、セクシュアル・ハラスメントが表面化した際に組織が受ける影響を考えるうえでも示唆的です。なぜなら、セクハラ問題が外部に知られると、多くの組織は「評判」に大きな打撃を受けます。
最近の研究でも、こうしたネガティブ情報が公になるほど、求職者が敬遠する傾向が強まると示唆されています[4]。
しかし、該当組織が問題を真摯に受け止め、調査の実施や被害者のケアを誠実かつ積極的に行った場合、興味深いことが起こります。単に損なわれた社会的イメージが元に戻るだけでなく、問題発生前よりも高い評判になる場合もあると研究結果は示唆しています。
問題をできるだけ隠そうとする戦略は、一見リスクを減らしているように思えて、実は組織の信頼を急速に蝕みます。逆に、必要な情報を積極的に開示し、被害者保護に力を注げば、かえって組織が抱えている構造的な問題を洗い出すチャンスにもなります。
5.2 信頼される組織を実現するために必要な3つの視点
1) 透明性:組織として失敗や問題を正面から認め、改善プロセスをオープンに示すことで、むしろ信頼を高めることができます。短期的には痛みを伴うかもしれませんが、長い目でみれば、「何かあっても隠さずに正直に対処してくれる」という安心感が組織への愛着につながります。
2) 自己検証:通報制度やサポート体制は、つくっただけで安心してはいけません。外部の目を積極的に取り入れながら、仕組みが形骸化していないかを常に点検する必要があります。外部批判にも耳を塞がずに向き合う姿勢が不可欠です。
3) 大局観:「組織イメージが落ちるから、できるだけ問題を隠蔽する」という考え方は、短期的な視点にとらわれています。長期的には、透明性の欠如こそが信頼を損ねる最大の要因です。公正なプロセスを示し、行動で示すことでこそ、組織は長期にわたって信頼を得られます。
今回事例として取り上げたジャフコの性加害事件でも、被害にあった人への迅速かつ公正な対応を行うことが、組織としての信頼を維持・回復する最善策となります。
結論
信頼を得るか失うかは、表向きの発言と実際の行動が一致しているかどうかにかかっています。
DEIスピンのように実態が伴わなかったり、問題を隠すことに力を注ぐのは避けなければなりません。「偽善的な組織」として周囲に認識される恐れがあります。
最悪のシナリオを回避し、長期的に信頼される組織を作り上げるためには、短期的なリスクを恐れて防衛的になるのではなく、透明性と公正さを徹底すること。それは被害者の救済はもちろん、組織内部の構造的な課題をあぶり出す貴重な機会にもなりえます。
誰もが安心して働ける環境をつくるには、責任あるリーダーシップと、徹底した行動で示す誠実さが欠かせないのです。