目次
- 1. 他国と比較した場合の日本の法律面での課題
- 2. 制度強化をサポートする論文
- 2.1 Folke, O., & Rickne, J. (2022). Sexual Harassment and Gender Inequality in the Labor Market. The Quarterly Journal of Economics, 137(4), 2163-2212.
- 2.2 Adams-Prassl, A., Huttunen, K., Nix, E., & Zhang, N. (2024). Violence against Women at Work. The Quarterly Journal of Economics, 139(2), 937-991.
- 3. 制度的にサポートが必要と考えられる点
- 4. 所感
1. 他国と比較した場合の日本の法律面での課題
1.1:OECD諸国のセクハラ規制比較
- 日本は「1. 加害者への直接的な罰則」と「2. 被害者を保護する仕組み」の両方において明示的な法整備が不十分
- 上記2点が不十分なOECD諸国は38カ国中日本、ハンガリー、チリのみ(World Bank, 2024)
- 明確に、先進国の中で日本は法整備が遅れているといえる
国 |
主な関連法案 |
直接罰則 |
被害者保護 |
起業家対象 |
日本 |
男女雇用機会均等法11条(企業のセクハラ防止義務規定) 労働施策総合推進法30条2-3 (パワハラ防止) - その他:刑法(強制わいせつ等は処罰可だがセクハラを直接犯罪化する規定なし) |
☓:企業への行政指導/企業名公表のみ。セクハラ行為そのものを対象とした罰はない |
△:相談窓口設置などは企業義務だが、公的保護命令や匿名通報制度などは未整備 |
☓:雇用関係外のハラスメントを扱う法整備は未確立 |
フランス |
Code pénal Article 222-33(セクハラ罪) Code du travail Article L1153-1(労働法:企業の防止義務) |
○:セクハラは刑法上の犯罪 |
○:どのように保護されるべきかや匿名報告可とする旨を明文化(原文) |
◯:刑法があるため、雇用形態を問わず訴追可能 |
イギリス |
Equality Act 2010 Section 26(差別・ハラスメント禁止) Protection from Harassment Act 1997(PHA: 雇用保護) |
△:ストーキングなど刑法対象もあるが(PHA Section 2A)、すべてが含まれるわけではない(民事的制裁がメインとなる印象) |
◯:報復の禁止や報復からの保護が存在 |
△:雇用関係外でもサービス提供時の差別・ハラスメントは違法だが、ケースバイケースの可能性 |
アメリカ |
Title VII of the Civil Rights Act(EEOC所管) 州法:カリフォルニア Civil Code §51.9 |
☓:連邦法レベル、◯:州レベル(例:カリフォルニア州では投資家に対する罰金2.8億円の例あり, 以下記載) |
○:申請に基づきEEOCが調査、勝訴時の弁護士費用回収制度あり。 |
△:カリフォルニアなど州レベルで存在 |
1.2 雇用関係にない状態でのセクハラ対策:カリフォルニアの事例(Civil Code §51.9)
Civil Code §51.9は、投資家を含む「ビジネス・サービス・専門職関係」における性的嫌がらせを禁止する法律であり、DFEH(現CRD)が同条に基づく訴訟を提起する権限を得たのは2019年1月1日から。以下2つの公式プレスリリースは同法による初の訴訟について。(ソース: California Department of Fair Employment and Housing: DFEH. 現Civil Rights Department: CRD)
- DFEHが2019年7月に、シリコンバレー・グロース・シンジケート (Silicon Valley Growth Syndicate Fund I, L.P. ほか) と共同創業者らを相手取り、セクシュアル・ハラスメントに関する民事訴訟を起こした
- 訴訟では、被害者に対して、共同創業者の1人であるLee William McNuttが「地位を利用して性的嫌がらせを行った」とされる
- 投資家とのミーティングのために出張した際に、McNuttが被害者に対して衣服をはだけて自身を露出し、無断で身体を触ったとされる
- 原告(DFEH)は、カリフォルニア州の「Fair Employment and Housing Act(FEHA)」と「California Civil Code section 51.9」に基づき、これが違法なハラスメントだと主張
- 上記の訴訟が、最終的に「シリコンバレー・グロース・シンジケート (Silicon Valley Growth Syndicate)」「International Direct Mail Consultants, Inc.」「Lee William McNutt」「William Bunker」「Russell Lewis」を被告として和解に至ったと報告。
- 和解金額は1,800,000ドル(約2.8億円)
- 和解条件には、将来の投資契約において差別やハラスメントを禁じる条項を入れることやMcNutt個人への差止命令(injunction)として、南メソジスト大学(SMU)の学部生・大学院生を雇用することの禁止や、本人と血縁関係にない女性や少女の写真・ビデオ撮影を行うことの禁止などが挙げられている。
2. 制度強化をサポートする論文
2.1 Folke, O., & Rickne, J. (2022). Sexual Harassment and Gender Inequality in the Labor Market. The Quarterly Journal of Economics, 137(4), 2163-2212.
論文の概要:スウェーデンの全国調査データ:セクハラを受けた個人は、どんな職場環境(性別構成や賃金水準)に属し、どのような職場移動を行うのかを総合的に分析。
主な発見:
- 職場における少数派性とハラスメント率
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- 女性は男性が多い職場、逆に男性は女性が多い職場で被害率が高い
- セクハラリスクの嫌悪度合いが賃金プレミアや職場選択を左右
-
- サーベイ実験では、セクハラリスクがある職場を避けるために平均で賃金の10%、回答者と同性が被害にあっている場合は最大で17%を放棄すると回答した
- ハラスメントが生む女性の転職・離職→低賃金セクターへの移動
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- 女性の場合、とくに男性比率が高く賃金水準も高い職場からの流出が増え「低賃金・女性中心の職場」へ移ってしまう傾向が強まる。結果として、企業内外の性別分断や賃金格差が持続・拡大する可能性
経済的観点での示唆
- 企業内セクハラの社会的・経済的コスト:セクハラがあることで、女性労働者の高賃金セクター進出が妨げられ、男女の賃金格差が拡大。労働市場の効率性と多様性が損なわれ、潜在的な経済成長が下振れする可能性が高まる。本論文では、スウェーデンにおける男女収入格差の8%はセクハラで説明できると指摘。
2.2 Adams-Prassl, A., Huttunen, K., Nix, E., & Zhang, N. (2024). Violence against Women at Work. The Quarterly Journal of Economics, 139(2), 937-991.
*この論文はセクハラを含む職場内の暴力が研究対象
論文の概要:フィンランドにおける警察報告データと行政統計をリンクし、「職場の同僚からの暴力」がどのように被害者・加害者・企業全体に影響を与えるかを分析した研究。性暴力だけでなく、殴打・脅迫など物理的・心理的な暴力全般を含む。
主な発見
- 被害者・加害者の双方が、長期にわたる雇用・収入の減少を被る。
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- 男性同士の暴力では、加害者の方が被害者より大きいペナルティ(雇用率・賃金の下落)を受ける。一方、男性加害者 —> 女性被害者のケースでは、加害者より被害女性側の方がより大きい損失(雇用喪失)に直面するなど、関係者の性別によって加害者が比較的「軽い」経済的損失にとどまる傾向。
- 男性被害者と女性被害者での「権力差」の影響。
-
- 男性上司(マネジャー)による暴力は、女性被害者の離職率をさらに高め、加害男性が雇用を保持しやすい傾向も明らかになった。職場内の階層的パワー構造とジェンダーが組み合わさると、女性の労働市場機会が著しく損なわれるリスクが高い。
- 企業全体への波及効果。
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- 男性から女性への暴力が発生した企業では、その後新規採用における女性比率が低下し、在籍する女性労働者の離職も進むため、企業の女性比率が顕著に低下する。
- 一方、男性が経営する企業と比べた場合、女性が経営する企業では、女性の同僚に対して暴力的な行為を行った男性は、その後も雇用を継続される可能性がより低くなる。
経済的観点での示唆
- 生産性・経営面への影響
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- 加害者が厳しく処分されないケースでは、被害者側の信頼低下と、周囲女性への萎縮効果により、企業の人材多様性や長期的な競争力を損ないうる。
- ジェンダー格差の拡大
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- 男性上位の意思決定構造のままでは、被害報告が抑圧されたり、加害者の処分が軽くなる歪みが生じる。これによって女性が企業内で昇進しにくくなる、女性比率がますます低下するなど、ジェンダー差の固定化につながる。
示唆:制度強化の必要性
- 両論文とも、(1)セクハラや性暴力が単なる個人間のトラブルでなく、(2) 労働市場全体においてジェンダー格差を拡大し、(3) 個別企業レベルを超えた経済的損失を生み出す要因となることを示唆。制度面での対策(セクハラ防止・報告制度の義務付け、管理職責任や企業責任の明確化、被害者保護の拡充など)が不可欠。
3. 制度的にサポートが必要と考えられる点
以下より「(1) セクハラの定義を明確にする」「(2) 加害することのリスクを高める」「(3) 被害者の保護を明確にする」の3点に焦点を当てる。
3.1 セクハラの定義をより明確にする
- 現状: 日本では、男女雇用機会均等法11条により「職場で行われる性的な言動」が広範に禁止されている。しかし、具体的にどのような行為が「性的な言動」に該当し、どこまでが「不利益」や「就業環境の害」なのかは法律上の定義が曖昧になりがちである。
- 海外の例(再掲): イギリスのEquality Act 2010 Section 26は、ハラスメントを「被害者の尊厳を侵害する行為」「被害者に脅迫的、敵対的、侮蔑的な環境をもたらす行為」としてかなり詳細に列挙している。日本のものよりは抽象度が低いため、単に性的な内容だったかだけでなく、被害者の尊厳等に踏み込んだ形で関係者が指針を立てやすくなる。
- 具体的な提案: 法改正やガイドライン改訂を通じて、「性的な言動」「不利益」「就業環境の害」にあたる行為類型を法律内で明示する。
3.2 加害することのリスクを高める
- 現状: 日本ではセクハラ行為に対する直接的な罰則規定がない(刑法の強制わいせつ等に該当しない限り、行政指導や企業名公表止まり)。そのため、加害者個人にとっては「リスクのない行為」となり、抑止力が働きにくい。
- 海外の例(再掲): フランス: 刑法上のセクハラ罪を設置。刑事罰が科される。カリフォルニア州: Civil Code §51.9により、投資家やフリーランスとの間でも大規模な賠償や厳格な差止命令が出される可能性がある。
- 日本国内におけるその他の厳罰化ケース: 領域は異なるが飲酒運転の厳罰化では、過去に比べて罰則が強化された結果「飲酒運転による代償が大きすぎる」社会的認識が広まり、実際の件数減少につながっている(参考資料)。これと同様、セクハラを直接的に処罰しうる刑事法規や高額賠償規定を設けることで、加害行為の発生を抑えるインセンティブを高めることができる。
- 具体的な提案:
- 刑法上の新設または既存法の改正による「セクハラ罪」の設置検討。少なくとも反復常習的で悪質なケースの厳罰化。
- 民事賠償額の上限引き上げや損害賠償の拡大を通じた経済的不利益の増大。
- 投資家やフリーランスなど、伝統的な雇用関係にない領域でも適用される法整備
3.3 被害者の保護を明確にする
- 現状: 相談窓口設置など企業側の義務は定められているものの、被害者が安心して通報できる仕組みが十分には整備されていない。匿名報告制度や保護命令制度の不備により、報復リスクや「泣き寝入り」が起きやすい。
海外の例(再掲): アメリカ: EEOC(雇用機会均等委員会)が通報を受け、調査と訴訟を代行する。勝訴時に弁護士費用を加害側から回収できる仕組みもあり、被害者の経済的負担を軽減している。フランス: 匿名報告や公的保護命令を法律で明記。企業の内部手続きだけではなく、公的機関が関与して被害者の安全を確保する。 - 具体的な提案:
- 通報・相談機関の強化: 企業内だけでなく、公的第三者機関(労働局や専門の委員会など)による匿名相談、調査権限の強化。
- 被害者保護命令の導入: 実際の暴力リスクや報復リスクがある場合、加害者の接近禁止や連絡禁止などを迅速に発令できる仕組みが必要。
- 費用負担の軽減: 被害者が訴訟を起こしやすいよう、勝訴時に弁護士費用を相手方が負担する制度や、法テラス等のサポート拡充。
4. 所感
- 日本はOECD諸国の中でも、セクハラに対する「直接的な罰則」と「被害者保護制度」の両面が十分に整備されていない数少ない国の一つ。
- 学術的研究でも、セクハラや職場内暴力は個人被害にとどまらず、企業の生産性低下や労働市場全体のジェンダー格差拡大、ひいては社会・経済全体の損失をもたらすことが示されている。個々人のモラルに任せて解決を任せるにはあまりに影響が大きい問題である。
- こうした背景から、(1)セクハラの定義を具体的に明確化し、(2)加害側のリスクを高め、(3)被害者の保護を強化する、という視点が必要ではと考えています。特に、雇用関係にない起業家やフリーランス、投資家などの力関係に着目した立法整備も不可欠といえる。
- Adams-Prassl, A., Huttunen, K., Nix, E., & Zhang, N. (2024). Violence against Women at Work. The Quarterly Journal of Economics, 139(2), 937-991. doi:10.1093/qje/qjad045
- Folke, O., & Rickne, J. (2022). Sexual Harassment and Gender Inequality in the Labor Market. The Quarterly Journal of Economics, 137(4), 2163-2212. doi:10.1093/qje/qjac018
- Kashino, T. (2025). Sexual harassment by multiple stakeholders in entrepreneurship: The case of Japan. Journal of Business Venturing Insights, 23, e00517. doi:https://doi.org/10.1016/j.jbvi.2025.e00517
- World Bank. (2024). Women, Business and the Law 2024: The World Bank.
- 滝原啓, 藤木貴, 原俊, 細川良, & 濱口桂. 諸外国におけるハラスメントに係る法制. 労働政策研究・研修機構