失敗が次につながる組織、つながらない組織

イノベーションは、現代の企業にとって生存と成長を賭けた至上命題である。しかし、その華やかな響きの裏側で、9割ものプロジェクトが成功に至らずに終わるという厳しい現実がある。多くの組織では、失敗は「コスト」であり、「評価を下げる要因」であり、そして可能であれば「隠すべき汚点」として扱われる。その結果、挑戦は萎縮し、組織は過去の成功体験に固執し、やがて静かに活力を失っていく。

私たちは、失敗を成功の対極にあるものとして、あまりにも単純に捉えすぎてはいないだろうか。もし、失敗が単なる「終わり」ではなく、次なる成功を生み出すための、極めて重要な「始まり」だとしたら。もし、真に革新的な組織とそうでない組織を分かつものが、失敗の数ではなく、失敗を「学習」へと転換させる能力、いわば「組織の代謝システム」の優劣にあるとしたら。この、失敗という避けがたい現実と、私たちはどう向き合えばよいのだろうか。

なぜ日本のイノベーションは「小さな改善」で終わるのか

この問題は、決して抽象的な議論ではない。日本企業がイノベーションの創出に苦戦しているという指摘は、多くのビジネスリーダーが共有する危機感だろう。ボストン コンサルティング グループ(BCG)が2024年2月に発表したレポートによれば、世界の最もイノベーティブな企業ランキングにおいて、日本企業の存在感は15年前に比べて著しく低下している。 レポートは、多くの日本企業が「旧来の枯れ始めたイノベーションモデルの枠組みの中で、小さな成果は出せるものの、本当の意味でのイノベーションにはつなげられず、悪戦苦闘している」と分析する。

こうしたマクロな停滞は、私たちの現場にどのような形で現れているだろうか。大手メーカーで新規事業開発を率いる中村マネージャーのチームを想像してみてほしい。彼らは、市場のニーズを捉えた画期的な製品のプロトタイプを開発した。しかし、初期のユーザーテストで、いくつかの致命的な欠陥が発覚する。経営陣が参加するレビュー会議の空気は重く、プロジェクトの将来を疑問視する声が上がる。結局、プロジェクトは「リスクが高い」と判断され、ひっそりと棚上げにされた。誰も、その失敗から「何を学べるか」を議論しようとはしない。ただ、「中村のプロジェクトは失敗した」という事実だけが、組織の記憶に静かに刻まれる。

中村氏のチームが経験したような出来事は、多くの日本企業で日常的に繰り返されている光景かもしれない。失敗を許容しない文化は、従業員から挑戦する意欲を奪い、結果として組織全体を「小さな改善」という安全地帯に閉じ込めてしまう。この負のスパイラルから抜け出すためには、失敗そのものに対する私たちの見方を、根本から変える必要がある。

失敗を「コスト」から「情報資産」へ:思考のOSを書き換える

中村氏が直面したようなジレンマを、個人の能力や運の問題として片付けてしまうのは簡単だ。しかし、それでは本質的な解決には至らない。この課題を構造的に理解するために、私たちの思考のOSをアップデートする、いくつかの概念的なレンズを手にしてみよう。

失敗という「トラウマ」
イノベーションの失敗は、投下した時間、資源、そして情熱が水泡に帰す経験であり、関わった個人やチームに深刻な心理的ダメージを与えることがある。自信の喪失、他者からの非難への恐れ、そして次の挑戦への躊躇。このような現象は、経営学の世界では、失敗がもたらす『トラウマ(Trauma)』として認識されている。このトラウマは、組織の学習能力を麻痺させ、リスク回避的な文化を醸成する大きな要因となる。

失敗という「機会」
一方で、失敗は、成功からは決して得られない貴重な「情報」をもたらす。何がうまくいかなかったのか、どの仮説が間違っていたのか、市場の真のニーズはどこにあるのか。失敗は、これらの問いに対する、最も信頼性の高い答えを教えてくれる。この視点に立てば、失敗はコストではなく、未来の成功確率を高めるための『機会(Opportunity)』、あるいは「学習資産」として捉え直すことができる。

56人の実践者が語る、失敗との「付き合い方」の4類型

では、組織は具体的にどのようにして、失敗を「トラウマ」から「機会」へと転換させることができるのだろうか。この問いに、実践者の生々しい経験から光を当てた研究がある。経営学者のヴェロニカ・スクオット氏らが発表したこの研究は、ヨーロッパと東南アジアの起業家、経営者、学者など56人への詳細なインタビューを通じて、革新的な組織が失敗とどう向き合っているのか、その多様なパターンを明らかにした。

逆説の扉:「トラウマ」が個人の「対話」を生むとき

この研究が私たちに見せてくれる最初の光景は、一見すると逆説的かもしれない。分析の結果、失敗という「トラウマ」体験は、皮肉にも、個人レベルでの「オープンな対話」を促すきっかけとなりうることが示された。 [論文] ある起業家は、「プロジェクトのバブルから抜け出すのは打撃だ。完全に途方に暮れ、意気消沈する。すべてをリセットしたくなる」と語る一方で、別の起業家は「失敗から何を学んだかに基づいて、タスクを再開する。以前のハードルを、困難の海を航海するための灯台にする」と述べている。 [論文]

この発見が示唆するのは、失敗の痛みこそが、個人を内省へと駆り立て、他者との対話を通じてその経験を意味づけようとする、人間の根源的な欲求を刺激するという事実である。組織がこの個人の動きを抑圧せず、むしろ安全な対話の場を提供することができれば、トラウマは次なる挑戦への貴重な糧となりうる。

組織の記憶装置:チームの「痛み」が「知の共有」を促すメカニズム

次に、チームレベルで失敗が「トラウマ」として経験された場合、それは「知識共有システム」の構築を促す力になることがわかった。 [論文] ある回答者は、「失敗から学ぶことは、従業員の知識プールを豊かにし、個人的な目標を設定するのに役立つ開発志向の活動に参加する原動力となる」と指摘する。 [論文]

これは、共有された「痛み」が、チームに「二度と同じ過ちを繰り返してはならない」という強い動機付けを与え、失敗の原因を徹底的に分析し、その教訓を組織的な「知」として形式化しようとする動きに繋がることを意味する。失敗は、単なる個人の記憶から、チーム全体が参照できる「組織の記憶装置」へと昇華されるのだ。

ありもので勝つ:個人の「創意工夫(ブリコラージュ)」が新たな道を拓く

一方で、失敗を「機会」として捉える視点は、どのような行動を生み出すのだろうか。個人レベルでは、それは「ブリコラージュ」と呼ばれるアプローチを促進することが示された。 [論文] ブリコラージュとは、ありあわせの道具や材料を創造的に組み合わせ、新たな価値を生み出すという考え方である。

この発見が浮き彫りにするのは、失敗によって当初の計画が頓挫したとき、個人が手元にある資源(知識、スキル、人脈など)を再評価し、それらを予期せぬ形で組み合わせることで、新たな突破口を見出すというプロセスである。失敗は、計画という「呪縛」から個人を解放し、より柔軟で創造的な問題解決を促す触媒となりうるのだ。

実験する組織:チームが「スパゲッティ・モデル」でしなやかさを手に入れる

最後に、チームレベルで失敗が「機会」として捉えられた場合、それは「スパゲッティ・組織モデル」と呼ばれる、より柔軟でアジャイルな組織形態への移行を促すことが示唆された。 [論文] このモデルは、固定的な階層構造ではなく、プロジェクトごとにチームが離合集散し、組織の各レベル間でフィードバックと反復が絶えず行われる、相互依存のネットワークを特徴とする。

これは、失敗を学習の機会と捉える文化が、チームに実験と試行錯誤を奨励し、結果として組織全体の適応能力としなやかさを高めることを意味する。失敗はもはや終着点ではなく、次のループへと繋がる、絶え間ないイテレーション(反復)のプロセスの一部として位置づけられるのである。

「失敗から学ぶ」という美徳の罠:この視点は万能薬か?

この研究が示す4つの類型は、失敗という複雑な現象を構造的に理解するための、非常に強力なフレームワークを提供してくれる。しかし、この知見を、あらゆる組織に適用可能な万能薬として捉えるのは早計だろう。

まず、この研究はヨーロッパと東南アジアの専門家を対象としており、日本のような独自の組織文化や雇用慣行を持つ環境で、これらのメカニズムが同様に機能するかは、慎重な検討が必要である。例えば、「失敗を許容する文化」が、終身雇用という安定した基盤の上でこそ育まれるのか、あるいは逆に、より流動性の高い労働市場でこそ促進されるのか、その答えは一つではない。

また、失敗の「質」と「規模」の問題も見過ごせない。小さなプロトタイプの失敗から得られる教訓と、市場に投入した製品の大規模なリコールから得られる教訓は、その性質も組織に与えるインパクトも全く異なる。すべての失敗が等しく「価値ある学習資産」になるわけではない。失敗から学ぶことの重要性を強調するあまり、その裏側にある深刻な経済的・人的コストから目を背けることは、新たな悲劇を生む危険性すらある。

突き詰めれば、問われるべきは、単に失敗をどう乗り越えるか、という事後的な対応策だけではない。むしろ、いかにして「賢く失敗するか」――すなわち、致命的なダメージを避けつつ、最大限の学習効果を得られるような実験を、組織としていかに設計し、実行していくかという、より戦略的な問いへと私たちの思考は導かれる。

失敗を「葬る」組織から、失敗を「活用」する組織へ

これまでの議論が示すのは、イノベーションの成否を分ける鍵が、失敗を避けることにあるのではなく、失敗をいかに組織の力に変えるか、という「学習のプロセス設計」にあるという事実だ。重要なのは、失敗を個人の責任として断罪することではなく、それを未来への投資と位置づけ、組織全体でその価値を最大化する仕組みを構築するという、新しい姿勢を持つことである。

まず、あなた自身の「失敗観」に光を当てる

  • あなたは、自分自身や部下の失敗に対して、最初にどのような感情を抱くだろうか。それは、失望や怒りか、それとも好奇心や学びへの期待か。

  • 過去の失敗プロジェクトについて、その原因や経緯を、いつでも誰でも参照できる形で記録・共有する仕組みは存在するか。

  • 失敗したメンバーに対して、あなたは「なぜ失敗したのか」という過去への問い詰めと、「この経験から何を学び、次にどう活かすか」という未来への問いかけの、どちらにより多くの時間を使っているだろうか。

次に、チームの「学習システム」を設計する

  • これらの内省から得られた気づきを、ぜひチームとの対話の出発点としてほしい。

  • 私たちのチームで、「失敗報告会」ならぬ「学習資産共有会」のような場を設けることはできないだろうか。そこでは、失敗の責任を問うのではなく、得られた教訓と次への仮説を、チーム全員で称賛し、議論する。

  • チームとして、どのような失敗であれば「許容可能」で、どのような失敗は絶対に避けなければならないのか、その基準を明確にすることはできるだろうか。これにより、メンバーは心理的に安全な範囲で、より大胆な挑戦ができるようになるかもしれない。

#タグ
イノベーション、失敗学、組織学習、心理的安全性、企業文化

📖 書誌情報
Scuotto, V., Magni, D., Garcia-Perez, A., & Pironti, M. (2024). The impact of innovation failure: Entrepreneurship adversity or opportunity?. Technovation, 131, 102944.