シリコンバレーで生まれたイノベーションは、他の地域に広がらない?

新しいテクノロジーの誕生は、経済成長のエンジンである。しかし、その果実は、社会に広く、そして平等に分配されているのだろうか。イノベーションが生み出す富と雇用は、一部の地域、一部の高度なスキルを持つ人々に独占され、地域間、そして個人間の格差をむしろ拡大させているのではないか。

なぜ、画期的なテクノロジーは、シリコンバレーのような一握りの場所で生まれ、そこで働く高スキルな人々の仕事を創出し続ける一方で、他の多くの地域や人々には、その恩恵がなかなか届かないのか。この根深く、複雑な課題に、私たちはどう向き合えばよいのだろうか。

なぜ、あなたの街では「未来の仕事」が生まれないのか?

近年、日本でも「デジタル田園都市国家構想」が掲げられ、地方のデジタル化を通じて、地域間の経済格差を是正しようとする動きが活発化している。しかし、現実には、IT関連の高度な雇用機会は、依然として東京をはじめとする大都市圏に集中している。

例えば、経済産業省の調査によれば、IT人材の約75%が首都圏に集中しており、地方のIT企業は深刻な人材不足に悩まされている。この「人材の偏在」は、地方におけるイノベーションの創出を阻害し、地域経済の停滞を招く大きな要因となっている。

この問題は、他人事ではない。地方都市の中堅メーカーで働く佐藤さんも、この現実を肌で感じていた。彼女の会社は、新しい技術を導入して事業のDXを進めようとしているが、必要なスキルを持つ人材を地元で採用することができず、プロジェクトは遅々として進まない。一方、東京の大学に進学した彼女の友人は、最先端のIT企業で高給を得て、刺激的な仕事に取り組んでいる。

「なぜ、生まれた場所が違うだけで、これほどまでに機会に差が生まれてしまうのか」。佐藤は、地方と都市の間に横たわる、見えない壁の存在を、痛感していた。

このような課題が多くの地域で他人事ではないのは、新しいテクノロジーの「開発」と「利用」の間に、地理的・時間的な、そしてスキル的な「断絶」が存在するからだ。イノベーションは、特定の場所に集積した高度な知識と人材の相互作用から生まれる。そして、そのイノベーションが生み出す「質の高い雇用」もまた、その誕生の地(Pioneer Location)に、長期間にわたって留まり続ける傾向がある。この構造的なメカニズムが、イノベーションの恩恵を一部の地域に固定化し、格差を永続させてしまうのである。

複雑な課題を構造的に捉えるための「思考の道具」

佐藤さんが直面したようなジレンマを、単なる地方の魅力不足の問題として片付けるのではなく、構造的に分析するための思考の道具をいくつか紹介する。

テキスト分析で捉える「新技術の誕生」
特許や求人情報、企業の決算説明会といった、膨大なテキストデータを分析することで、新しいテクノロジー(例えば「クラウドコンピューティング」や「機械学習」といった言葉)が、いつ、どこで、どのように生まれ、社会に広まっていったのかを、客観的なデータとして捉えることができる。

イノベーションの「発祥の地」
ある新技術に関連する初期の特許が、地理的にどこに集中していたかを特定することで、その技術の「発祥の地(Pioneer Location)」を定義することができる。この「発祥の地」が、その後の技術の普及プロセスにおいて、どのような役割を果たすのかを分析することが、地域格差のメカニズムを解明する鍵となる。

技術普及の「地理的拡散」と「スキル的拡散」
新技術に関連する求人情報が、時間とともに、地理的にどのように広がっていくか(地理的拡散)、そして、求められるスキルレベルがどのように変化していくか(スキル的拡散)を追跡することで、イノベーションの恩恵が、社会のどの層に、どの程度のスピードで浸透していくのかを、定量的に評価することができる。

ビッグデータが描く、イノベーション格差の残酷な現実

この問いに対し、Kalyaniらの研究チームが経済学のトップジャーナルであるThe Quarterly Journal of Economicsで2025年に発表した論文は、数百万件の特許、数千万件の求人情報、そして数十万件の決算説明会という、3つの異なるビッグデータを組み合わせることで、この問題に全く新しい光を当てた。この研究は、テキスト分析を用いて、過去数十年間に登場した主要な新技術を網羅的に特定し、その「誕生」から「普及」に至るまでのプロセスを、地理、スキル、時間の3つの次元で、かつてない解像度で描き出したものである。

この研究が私たちに見せてくれるのは、イノベーションが生み出す経済的機会が、いかにして一部の場所に集中し、その優位性が、いかにして長期間にわたって維持されるかという、残酷なまでの現実だ。

1. 経済を動かす新技術の56%は、たった2つの場所で生まれる

研究が明らかにした最も衝撃的な事実は、経済的に最もインパクトの大きい新技術の、実に56%が、米国のたった2つの地域――シリコンバレーと北東回廊(ボストン、ニューヨークなど)――から生まれているということだ。イノベーションの「発祥の地」は、私たちが想像する以上に、極端に偏在しているのである。

この発見が示唆するのは、イノベーションが、単なる個々の企業の努力だけでなく、特定の場所に蓄積された、高度な知識、人材、そして資本の「生態系(エコシステム)」から生まれるという、厳しい現実である。

2. 技術の「地理的拡散」には、50年以上の歳月がかかる

では、一度生まれた技術は、他の地域にも広がっていくのだろうか。答えはイエスだが、そのスピードは、絶望的に遅い。研究によれば、新技術に関連する雇用が、地理的に完全に拡散するには、平均して50年以上の歳月を要することがわかった。

これは、地方創生や地域活性化を目指す政策担当者にとって、極めて重い事実を突きつける。イノベーションの恩恵が、自然に全国へと波及するのを待つだけでは、格差は一向に埋まらないのだ。

3. 新技術の雇用は、最初は「高スキル」に偏るが、徐々に「裾野」は広がる

新技術が生み出す雇用は、当初は、大学卒以上の学歴を要求するような、極めて「高スキル」な職種に偏っている。しかし、技術が成熟するにつれて、求められるスキルレベルは徐々に低下し、より広い層の人々が、その技術に関連する仕事に就けるようになる(「スキルの裾野拡大」)。

この発見は、一筋の希望の光と言えるかもしれない。しかし、そのプロセスもまた、非常に緩やかである。技術が誕生してから30年が経過しても、関連する雇用の約半分は、依然として大卒レベルのスキルを要求する。

4. そして、「質の高い仕事」は、発祥の地に留まり続ける

そして、この研究が明らかにした、最も不都合な真実がこれだ。新技術の普及プロセスにおいて、地理的に拡散していくのは、主にその技術を「利用」する、比較的低スキルな仕事である。一方で、その技術の研究、開発、生産(RDP)に関わる、最も「質の高い、高スキルな仕事」は、技術の「発祥の地」に、数十年という長期間にわたって、留まり続けるのである。

これは、イノベーションの「発祥の地」が、単に一時的なアドバンテージを得るだけでなく、その技術の中核をなす高付加価値な雇用を、長期的に独占し続けることを意味する。シリコンバレーが、いつまでも世界のテクノロジーの中心であり続ける理由が、ここにある。

この「勝者総取り」のゲームから、抜け出す道はあるのか?

もちろん、どのような優れた研究も、それ一つで全てを語ることはできない。Kalyaniらの研究は、主に米国のデータを対象としており、この結果が、異なる産業構造や労働市場を持つ日本に、そのまま当てはまるかは慎重に考える必要がある。

また、この研究は、新技術が「創出」する雇用に焦点を当てているが、その裏側で「破壊」される既存の雇用については、十分に分析されていない。

しかし、この研究が投げかける本質的な問いは、国や地域を越えて普遍的な重要性を持つ。「グローバルな知識経済の中で、イノベーションの地理的な偏在と、それに伴う格差の固定化という、抗いがたい力に、私たちはどう立ち向かうべきか」。この問いに、私たちは真剣に向き合う必要がある。

「中央集権」から「分散型」へ:イノベーションの新たな地図を描く

では、完璧な答えがないとわかった上で、私たちはこの複雑な問題とどう向き合えばよいのだろうか。

ここまでの話から見えてくるのは、イノベーションと雇用の未来が、もはや「どこで生まれるか」という単一の物語ではなく、「いかにして広がり、多様な人々の手に渡るか」という、より複雑な物語へと移行していくという、揺るぎない事実だ。重要なのは、すべての地域がシリコンバレーを目指すことではない。それぞれの地域が、自らの強みを活かし、グローバルなイノベーションの生態系の中で、独自の「ニッチ」を見つけ出し、そこで質の高い雇用を創出するという、新しい視点を持つことなのかもしれない。

最初のステップ:あなたの会社の「技術ポートフォリオ」を地理的にマッピングする

  • 私たちの会社が依存している主要な技術は、世界のどこで生まれ、開発されているだろうか。

  • 私たちの会社は、それらの技術を、単に「利用」する側に留まっているのか。それとも、その研究・開発プロセスに、何らかの形で関与しているのか。

  • 私たちの会社のR&D拠点や生産拠点の立地は、グローバルなイノベーションの「発祥の地」との地理的な近接性を、十分に考慮しているだろうか。

次のステップ:チームで「分散型イノベーション戦略」を構想する

個人の内省から得た気づきは、チームの対話を通じて初めて、組織の力へと昇華する。以下の論点を、次の戦略会議のテーブルに乗せてみてはどうだろうか。

  • 「発祥の地」への戦略的進出: 自社にとって重要な技術の「発祥の地」に、サテライトオフィスやR&D拠点を設置し、現地の生態系との接点を強化することはできないだろうか。

  • 「利用」から「応用」へのシフト: 地方の拠点において、単に本社で開発された技術を「利用」するだけでなく、その技術を地域の特性や顧客のニーズに合わせて「応用」し、新たな付加価値を生み出す役割を、より積極的に担うことはできないだろうか。

  • リモートワークと「頭脳の逆流」: リモートワークの普及を追い風に、これまで都市部に集中していた高スキルなRDP人材を、地方の拠点で採用・育成することはできないだろうか。これは、イノベーションの「頭脳」を、地方へと逆流させる、大きなチャンスとなりうる。

#️⃣【タグ】
イノベーション, 技術普及, 地域格差, 雇用, スキル偏向型技術進歩

📖【書誌情報】
Kalyani, A., Bloom, N., Carvalho, M., Hassan, T., Lerner, J., & Tahoun, A. (2025). The diffusion of new technologies. The Quarterly Journal of Economics, 140, 1299–1365.