なぜ、利益を追求するほど、組織の「大切な何か」が失われるのか?――競争圧力と成果主義がもたらす、意図せざる副作用

四半期ごとの業績目標、株主からの期待、そして市場での熾烈な競争。現代のリーダーたちは、絶え間ないプレッシャーの中で、短期的な「成果」を出すことを宿命づけられている。そのプレッシャーに応えるため、リーダーが「何よりもまず、結果を出すこと」に集中するのは、ある意味で合理的かつ当然の選択と言えるだろう。しかし、その合理的なはずの選択が、意図せずして組織の未来を蝕むとしたらどうだろうか。利益という一点に集中するあまり、顧客への誠実さ、従業員の心身の健康、あるいは社会や環境への配慮といった、長期的な価値創造に不可欠な要素が、静かに、しかし確実に切り捨てられていく。この、多くの組織が陥りがちなジレンマの根源には、一体何が潜んでいるのだろうか。この根深く、複雑な問いに、私たちはどう向き合えばよいのだろうか。「利益がすべて」という号令が、現場の倫理を麻痺させる時この問題は、決して一部の特殊な企業だけの話ではない。2023年に日本社会を揺るがした中古車販売大手ビッグモーターによる保険金不正請求問題は、その典型的な事例と言えるだろう。報道によれば、現場には「利益至上主義」とも言える企業風土が根付き、達成困難な営業ノルマが課せられる中で、顧客の利益を損なう不正行為が常態化していたとされる。こうしたマクロな事象は、私たちの日常業務にどのような影を落とすだろうか。競争の激しい消費財メーカーで、営業部長を務める斎藤氏のチームを想像してみてほしい。市場シェアの低下に直面し、経営陣から強いプレッシャーをかけられた彼は、「今期はとにかく数字だ。他のことは後回しでいい」とチームに檄を飛ばす。彼の号令のもと、チームは短期的な売上を最大化するため、やや強引な営業手法や、利益率の低いキャンペーンを多用し始める。結果として、四半期の売上目標は達成された。しかしその裏で、顧客からのクレームは増加し、疲弊した若手社員の退職が相次ぎ、チームの雰囲気は明らかに悪化していた。このような状況が生まれる背景には、個々のリーダーの資質というよりも、むしろリーダーを特定の行動へと駆り立てる、より大きな構造的な力が働いている。激しい外部環境の変化が、リーダーの視野を狭め、その思考様式が、まるでウイルスのようにチーム全体へと伝播していくのだ。「個人の資質」という幻想を越えて:問題の構造を照らす二つの光斎藤部長が直面したようなジレンマを、単に彼のマネジメント能力の問題として片付けてしまうのは容易だ。しかし、それでは本質的な解決には至らない。この課題を構造的に理解するために、私たちの思考の解像度を上げる、いくつかの概念的なレンズを手にしてみよう。成果への偏執:「ボトムライン・メンタリティ」リーダーが、利益や売上といった最終的な「結果(ボトムライン)」を確保することにのみ集中し、それ以外の要素(例えば、倫理、従業員の幸福、社会貢献など)を軽視、あるいは無視してしまう思考様式が存在する。このような現象は、経営学の世界では『ボトムライン・メンタリティ(Bottom-Line Mentality)』と呼ばれている。これは単なる性格ではなく、特定の状況下で後天的に形成されうる、一種の思考の「癖」のようなものである。環境が思考を形作る:「社会情報処理理論」人は、自らが置かれた環境から様々な「情報」を受け取り、それを解釈することで、自身の態度や行動を形成していく。リーダーも例外ではない。市場の競争環境といった外部からの情報が、リーダーの思考や意思決定に大きな影響を与える。そして、そのリーダーの言動は、今度は部下たちにとって最も重要な「情報源」となる。このように、情報が組織内を伝播し、人々の認識や行動を形成していくプロセスを捉えるのが、『社会情報処理理論(Social Information Processing Theory)』である。このレンズを通せば、斎藤部長の行動は、彼の個人的な資質というより、競争圧力という情報に対する「反応」として理解することができる。中国大手製薬269チームのデータが語る、競争がリーダーシップを歪めるプロセスこの複雑なメカニズムに、大規模な実証データを用いて光を当てた研究がある。経営学者のシュアン・レン氏らが発表したこの研究は、中国の大手製薬企業に所属する269の営業チームを対象に、市場の競争環境がリーダーの思考様式(メンタリティ)をどう変え、それが最終的にチームの行動にどのような影響を及ぼすのかを克明に追跡した。競争の激化が、リーダーを「成果第一主義」へと駆り立てるこの研究が私たちに見せてくれる最初の光景は、競争圧力がいかにリーダーの思考を単純化させるか、というプロセスである。分析の結果、企業の競争活動(価格競争や製品改良など)が激しい地域を担当するリーダーほど、「何よりも結果がすべて」と考える「ボトムライン・メンタリティ」を強く持つ傾向にあることが明らかになった(B = .12, p < .001)。 [論文]この発見が示唆するのは、ボトムライン・メンタリティが、リーダーの生来の性格というよりは、むしろ厳しい外部環境に適応するための「戦略的選択」として現れるという可能性である。生き残りをかけた戦いの中で、リーダーは複雑な問題を脇に置き、最も重要で測定可能な指標、すなわち「利益」に思考を集中させる。それは、混乱した状況を乗り切るための、ある種の防衛本能とも言えるのかもしれない。リーダーの「一点集中」がもたらす、チーム行動の光と影では、リーダーのこの「成果への一点集中」は、チームにどのような影響を及ぼすのだろうか。研究は、リーダーのボトムライン・メンタリティが、チームの行動に二つの、全く正反対の結果をもたらすことを突き止めた。まず「光」の側面として、リーダーのボトムライン・メンタリティが強いほど、チームの販売実績は有意に向上していた(B = .11, p = .03)。 [論文] これは、リーダーからの「結果を出せ」という明確で強力なシグナルが、チームのエネルギーを販売活動という一点に集中させ、短期的な成果に結びついたことを示している。しかし、その裏側には深刻な「影」が存在した。リーダーのボトムライン・メンタリティが強いほど、チームの環境配慮行動(例えば、業務における省エネや廃棄物削減など)は、有意に抑制されていたのである(B = -.30, p < .001)。 [論文] この結果が浮き彫りにするのは、リーダーが発する「ボトムラインが最優先」というシグナルが、チームメンバーに「それ以外のことは重要ではない」というメッセージとして伝わり、直接的な利益に結びつかない長期的な価値創造活動への動機付けを奪ってしまうという、意図せざる副作用である。この地図は万能か?――成果主義の功罪を分かつ、見えざる境界線紹介した知見は、競争環境がリーダーと組織に与える影響を、極めて明確な因果の連鎖として示している。しかし、この一枚の地図だけで、あらゆる組織の複雑な現実を読み解けると考えるのは早計だろう。この研究の舞台は、中国の製薬業界という特定の文脈である。例えば、イノベーションの創出が至上命題であるIT業界や、従業員の創造性が価値の源泉となるデザイン業界では、「成果」の定義そのものが異なり、ボトムライン・メンタリティがもたらす影響も全く違う様相を呈するかもしれない。短期的な売上よりも、長期的な顧客との信頼関係や、従業員の自発的な学びこそが「真の成果」と見なされる組織も存在するだろう。さらに重要なのは、この研究が浮き彫りにした「報酬制度」の役割である。分析によれば、リーダーやチームの業績と報酬が強く連動している場合、競争圧力がボトムライン・メンタリティを生み、それがチームの行動を歪めるという一連の効果は、より一層強力になることが示されている。 [論文] これは、問題の根源がリーダー個人の思考様式だけにあるのではなく、むしろその思考様式を助長し、正当化する組織の「制度」そのものに潜んでいることを示唆している。突き詰めれば、問われるべきは「成果を追求すべきか、否か」という二者択一ではない。むしろ、自らが置かれた競争環境の中で、「短期的な成果」と「長期的な価値」という二つの時間軸を、いかにして両立させるか。そのための組織的な知恵と仕組みを、どう設計していくかという、より高次の問いへと私たちの思考は導かれる。「なぜ」を問い直し、システムの「OS」を書き換えるこれまでの議論が示すのは、短期的な成果主義への傾倒が、個々のリーダーの資質の問題というよりは、競争圧力と報酬制度という強力な外部要因によって駆動される、システム的な現象であるという事実だ。だとすれば、重要なのは、特定のリーダーの行動を非難することではなく、その行動を生み出す組織の「OS(オペレーティング・システム)」そのものに目を向け、それを意識的に書き換えていくという、新しい姿勢を持つことである。まず、あなた自身の「視野狭窄」を点検するプレッシャーのかかる状況で、自分はチームに対して、売上や利益といった「結果指標」ばかりを語ってはいないだろうか。短期的な目標達成と、長期的な価値創造(顧客満足、人材育成、社会貢献など)が衝突する場面で、自分はどのような判断基準で意思決定を行っているだろうか。チームの目標設定や評価において、結果だけでなく、そこに至るまでの「プロセス」や、数値化しにくい「貢献」(例えば、他者への協力や新しい挑戦など)を、どれだけ可視化し、正当に評価できているだろうか。次に、チームの「評価コンパス」を再設定するこれらの内省から得られた気づきを、ぜひチームとの対話の出発点としてほしい。私たちのチームにとって、数字上の目標達成と同じくらい、あるいはそれ以上に「大切にしたい価値」とは何だろうか。それをチームの共通言語として定義し、共有することはできるだろうか。現在の評価制度や報酬制度は、私たちが本当に大切にしたい価値や行動を、正しく後押しするものになっているだろうか。もしなっていないとすれば、どのような矛盾があり、それを解消するために、私たちはどのような働きかけができるだろうか。#タグボトムライン・メンタリティ、成果主義、競争戦略、社会情報処理理論、サステナビリティ経営📖 書誌情報Ren, S., Mawritz, M. B., Greenbaum, R. L., Babalola, M. T., & Wang, Z. (2024). Does Competitive Action Intensity Influence Team Performance via Leader Bottom-Line Mentality? A Social Information Processing Perspective. Journal of Applied Psychology, 109(6), 811–828….

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