なぜ、伝統的なベンチャーキャピタルの世界では、女性起業家は男性に比べて資金調達に苦労するのだろうか。そして、なぜクラウドファンディングという新しい市場では、その「ガラスの天井」が打ち破られ、女性が男性と対等、あるいはそれ以上に成功を収めているのだろうか。この謎を解く鍵は、投資家が意思決定を下す際の、心の奥深くにある「直感」の働きにあるのかもしれない。
もし、これまでジェンダーバイアスの温床と見なされてきた「直感」こそが、皮肉にも、クラウドファンディングにおける男女平等を促進しているとしたら?もし、データや論理に基づく「分析的な判断」よりも、一瞬のひらめきや感情に基づく「直感的な判断」の方が、女性起業家の持つ本質的な価値を見抜きやすいとしたら?
この根深く、複雑な課題に、私たちはどう向き合えばよいのだろうか。
なぜ、あなたの会社の「論理的な」判断は、多様な才能を見逃すのか?
近年、多くの企業が、ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)を推進し、意思決定プロセスにおける無意識のバイアスを排除しようと努めている。例えば、採用面接において、候補者の経歴やスキルを客観的な指標で評価し、面接官の主観的な印象に頼らないようにする、といった取り組みはその一例だ。
しかし、こうした「合理性」の追求は、常に意図した通りの結果をもたらすとは限らない。むしろ、新たな「見えざる壁」を生み出している可能性はないだろうか。
大手ベンチャーキャピタルで投資担当者として働く佐藤さんも、この問題に直面していた。彼女の会社では、投資判断の精度を高めるため、事業計画の市場性や収益性を、精緻なデータ分析に基づいて評価する、厳格なフレームワークを導入している。
しかし、佐藤はこのフレームワークに、ある種の「息苦しさ」を感じていた。数字の上では有望に見える男性起業家の事業計画。一方で、データには現れないが、強い情熱と、顧客の心を掴むユニークな物語を持つ女性起業家のアイデア。「論理的に考えれば、前者への投資が『正しい』。でも、私の『直感』は、後者の方が、何かとてつもない可能性を秘めていると告げている…」。佐藤は、会社の「合理的な」判断基準と、自らの直感との間で、葛藤していた。
このような課題が多くの組織で他人事ではないのは、私たちが「直感」というものを、非合理的で、バイアスに満ちた、克服すべき「弱さ」として捉えがちだからだ。しかし、特にクラウドファンディングのように、情報が不完全で、未来が不確実な状況においては、直感は、データだけでは捉えきれない、事業の本質的な価値や、起業家の情熱といった「シグナル」を敏感に察知するための、強力なアンテナとなりうる。このアンテナを、私たちは、自ら折りたたんでしまってはいないだろうか。
複雑な課題を構造的に捉えるための「思考の道具」
佐藤さんが直面したようなジレンマを、単なる個人の感性の問題として片付けるのではなく、構造的に分析するための思考の道具をいくつか紹介する。
「直感」と「分析」という二つの思考モード
人間の意思決定は、素早く、自動的で、感情的な「直感的思考(System 1)」と、遅く、意識的で、論理的な「分析的思考(System 2)」という、二つの異なるモードによって行われる(ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』)。クラウドファンディングの投資家は、限られた情報と時間の中で判断を下すため、直感的思考に頼る傾向が強いとされる。
「シグナル検出理論」で読み解く投資判断
これは、ノイズの中から意味のあるシグナルをいかにして見つけ出すか、という情報処理のプロセスをモデル化した理論である。投資判断に当てはめれば、投資家は、起業家が発する様々な情報(ノイズ)の中から、将来の成功に繋がる「本物のシグナル」を検出しようとしている、と考えることができる。
ジェンダー・ステレオタイプという「ノイズ」と「シグナル」
伝統的な金融市場では、「女性はリーダーシップに欠ける」といったステレオタイプが「ノイズ」となり、女性起業家が発する「本物のシグナル」を覆い隠してしまう。しかし、クラウドファンディング市場では、「女性は信頼できる、協力的である」といった、異なるステレオタイプが、むしろポジティブな「シグナル」として機能し、投資を促進する可能性がある。
2,911人の「直感」が証明した、ジェンダー平等の新たな可能性
この問いに対し、Fellnhofer and Deng (2024)が起業家精神研究のトップジャーナルであるEntrepreneurship Theory and Practiceで発表した論文は、3つの大規模なランダム化比較実験を通じて、この問題の核心に迫った。この研究は、欧米の2,911人の被験者を対象に、起業家の性別を操作したクラウドファンディングのピッチを見せ、彼らの「投資意欲」が、「直感」の強さによってどう変化するかを、ベイジアン分析という統計手法を用いて、精緻に検証したものである。
この研究が私たちに見せてくれるのは、これまでバイアスの源泉とされてきた「直感」が、むしろジェンダーの壁を乗り越え、より公平な資金調達の機会を生み出す、力強いエンジンとなりうるという、希望に満ちた光景だ。
1. 「直感」は、ジェンダーバイアスを説明しない
研究が明らかにした最も重要な事実は、投資家の「直感」が、起業家の性別による投資判断の差、すなわち「ジェンダーバイアス」を生み出す原因とはなっていない、ということだ。
実験では、投資家の直感の強さ(自己申告や、意思決定の速さで測定)と、起業家の性別との間に、統計的に有意な交互作用は見られなかった。これは、「直感的な判断は、ステレオタイプに基づいたバイアスを生みやすい」という、長年の通説に、真っ向から挑戦するものである。
2. むしろ、「直感」はジェンダー平等を「促進」する
さらに、この研究は、直感がジェンダー平等を「促進」する可能性を示唆している。クラウドファンディングという、情報が不完全で、多様な投資家が参加する市場においては、投資家は、性別といった表面的な属性ではなく、起業家の情熱や、アイデアの独創性といった、より本質的な「シグナル」を、直感的に捉えようとする。
そして、多くの研究が示すように、女性起業家は、共感を呼ぶストーリーテリングや、信頼感を醸成するコミュニケーションに長けている傾向がある。直感的な投資家は、こうした女性特有の「強み」を敏感に察知し、それが、クラウドファンディングにおける女性の成功に繋がっているのではないか、と研究は示唆している。
3. 「素人の直感」も「プロの直感」も、等しく公平である
この効果は、投資経験の有無にかかわらず、一貫して見られた。投資経験の乏しい「素人投資家」のヒューリスティックな直感も、経験豊富な「プロ投資家」の洗練された直感も、どちらも、ジェンダーの壁を乗り越える上で、同様に機能していた。
この発見は、クラウドファンディングが、なぜ伝統的な金融市場よりも、女性にとって公平な競争の場となりうるのかを、力強く説明する。そこでは、専門的な知識や分析能力だけでなく、多様な人々の「直感」が、新しい価値を評価する、新しい物差しとして機能しているのだ。
この「直感の楽園」は、いつまで続くのか?
もちろん、どのような優れた研究も、それ一つで全てを語ることはできない。Fellnhofer and Dengの研究は、主に「リワード型」のクラウドファンディングを対象としており、より大きな金額が動き、投資家がより分析的な判断を下す傾向にある「株式投資型」クラウドファンディングや、伝統的なベンチャーキャピタルの世界に、この結果をそのまま当てはめることはできないかもしれない。
また、この研究は、直感が「ジェンダーバイアスを生み出さない」ことを示したが、それが常に「正しい」投資判断に繋がることを保証するものではない。
しかし、この研究が投げかける本質的な問いは、実験の限界を越えて、私たちに重くのしかかる。「私たちは、組織における意思決定のプロセスにおいて、『分析』と『直感』のバランスを、どのように取るべきか。そして、多様な才能が開花するためには、どのような『評価の物差し』が必要なのか」。この問いに、私たちは真剣に向き合う必要がある。
「論理」の檻から、「直感」の翼へ
では、完璧な答えがないとわかった上で、私たちはこの複雑な問題とどう向き合えばよいのだろうか。
ここまでの話から見えてくるのは、イノベーションが生まれる現場において、私たちがこれまで金科玉条としてきた「データに基づく合理的な意思決定」が、必ずしも唯一の正解ではないという、揺るぎない事実だ。重要なのは、直感を非合理的なものとして排除することではない。むしろ、それを、論理だけでは捉えきれない、新しい価値を発見するための「もう一つの知性」として尊重し、組織の意思決定プロセスに、いかにして賢く組み込むかという、新しい視点を持つことなのかもしれない。
最初のステップ:あなたの組織の「思考の癖」を診断する
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私たちの組織では、意思決定を行う際、「データがないと話にならない」という空気が、自由な発想を妨げてはいないだろうか。
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評価のプロセスにおいて、数値化できる「ハードな」指標ばかりが重視され、情熱やビジョンといった「ソフトな」要素が、軽視されてはいないだろうか。
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チームメンバーは、自らの「直感」や「違和感」を、たとえそれが論理的に説明できなくても、安心して表明できる、心理的に安全な環境にあるだろうか。
次のステップ:チームで「直感と論理の最適なブレンド」を探求する
個人の内省から得た気づきは、チームの対話を通じて初めて、組織の力へと昇華する。以下の論点を、次の新規事業の評価会議のテーブルに乗せてみてはどうだろうか。
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「直感」を言語化する訓練: チームメンバーが、自らの「直感」の背景にある、言葉にならない仮説や経験則を、互いに共有し、言語化する場を設けることはできないだろうか。
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「多様な直感」の活用: 意思決定のプロセスに、あえて異なる専門性やバックグラウンドを持つ人々(例えば、エンジニアだけでなく、アーティストや社会学者など)を参加させ、彼らの「多様な直感」を、議論の触媒として活用することはできないか。
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「高速な意思決定」の実験: すべての意思決定を、時間をかけた分析に基づいて行うのではなく、一部のプロジェクトについては、あえて「直感」と「高速なプロトタイピング」に基づいて進めるという、実験的なアプローチを試すことはできないだろうか。
#️⃣【タグ】
クラウドファンディング, ジェンダー平等, 意思決定, 直感, プロスペクト理論
📖【書誌情報】
Fellnhofer, K., & Deng, Y. (2024). Investor intuition promotes gender equality in access to reward-based crowdfunding. Entrepreneurship Theory and Practice, 48(2), 675–718.