「チームのため」という言葉の魔力――なぜ、善良な人々が不正に手を染めてしまうのか?

「会社のため」「チームのため」――この言葉を前にしたとき、私たちはどれだけ冷静でいられるだろうか。目標達成のため、あるいは組織を危機から守るため、リーダーが部下に特別な貢献、時には規範から少し外れた行動を求める場面は、決して珍しいものではない。多くのメンバーは、その要求が全体の利益に繋がると信じ、自らの良心に蓋をしてでも応えようとする。

しかし、その「一体感」や「忠誠心」こそが、組織をより深刻な倫理的危機へと導くとしたらどうだろうか。リーダーの言葉一つで、個人の倫理観は容易に書き換えられ、不正行為が「善行」として正当化されてしまうとしたら。この、組織に深く根ざした、抗いがたい心理的メカニズムに、私たちはどう向き合えばよいのだろうか。

「組織のため」という大義名分が、個人の倫理を麻痺させる

この問題は、決して遠い国の話ではない。例えば、2023年に明らかになったダイハツ工業の認証不正問題では、長期間にわたり、組織ぐるみで不正行為が続けられていたことが発覚した。背景には、「短期開発」という目標を達成するためには不正もやむを得ないという、組織の目標を個人の倫理観よりも優先する企業風土があったと指摘されている。 このような「組織のための不正」は、日本の製造業において繰り返し見られる根深い課題である。

こうしたマクロな事象は、私たちの日常業務にどのような影を落としているだろうか。あるソフトウェア開発企業でプロジェクトマネージャーを務める高橋氏のチームを想像してみよう。クライアントへの納期が迫る中、致命的なバグが発見される。しかし、納期を遅らせれば、会社は大きなペナルティを負うことになる。高橋氏はチームメンバーを集め、「このプロジェクトの成功は、我々の部署の未来にとって極めて重要だ。今はチーム一丸となって、この危機を乗り越えたい。バグの件は、ひとまずリリース後に対応しよう」と告げる。メンバーの何人かは、顧客への裏切り行為だと感じながらも、「チームのためだ」という言葉の前に沈黙し、その決定に従ってしまう。

このような状況が生まれる背景には、個人の倫理観と組織への忠誠心が衝突した際に、後者が優位に立ちやすいという、人間の心理的な傾向がある。特に、リーダーが「組織」や「チーム」といった共同体を大義名分として掲げたとき、その要求に異を唱えることは、共同体への裏切り行為と見なされかねないという強いプレッシャーが生じるのだ。

不正を「善行」へと転換する、心の錬金術

高橋氏のチームが陥ったようなジレンマを、単なる個人の意志の弱さや倫理観の欠如として片付けることは、問題の本質を見誤らせる。この課題を構造的に理解するため、いくつかの概念的なレンズを手にしてみよう。

不正を正当化する心理装置:「道徳的関与の停止」
人は不正行為に手を染める際、それが非倫理的であるという認識から自らを守るため、認知的な再構築を行うことがある。例えば、「これは組織を守るための必要悪だ」「誰も傷つけていない」といった理屈をつけ、自らの行動を正当化する。このような心理的メカニズムは、社会心理学では『道徳的関与の停止(Moral Disengagement)』と呼ばれており、個人が倫理基準から逸脱する際の、いわば「心の安全装置」として機能する。

「私」を消し去る集団の力:「社会的アイデンティティ」
人は誰しも、様々な集団(会社、チーム、家族など)に所属しており、その集団の一員であるという認識は、個人の自己認識、すなわちアイデンティティの一部を形成する。これを『社会的アイデンティティ(Social Identity)』と呼ぶ。特定の集団への帰属意識が強まると、人は個人的な価値観よりも、その集団の規範や目標を優先して行動する傾向が強まる。このとき、個人の「私」は集団の中に埋没し(脱個人化)、集団の利益が自己の利益であるかのように感じられるようになる。

2,470人のデータが暴く「忠誠心」という名の危険な影響力戦略

この根深い問題に対し、リーダーの言葉が部下の行動に与える影響を、実験を通じて鋭くえぐり出した研究がある。ジョン・アンガス・D・ヒルドレス氏によるこの研究は、オンラインワーカー、学生、友愛会メンバーなど、合計2,470人を対象とした6つの実験を通じて、リーダーが部下の「忠誠心」に訴えかけることが、いかに非倫理的な要求への服従を引き出すかを検証した。

「君のため」より「我々のために」:集団への忠誠心が不正を加速させる

この研究が明らかにした最も衝撃的な事実は、忠誠心を求める際の「対象」によって、その効果が劇的に異なるという点である。実験の結果、リーダー個人への忠誠心(「私のために」)を求めるよりも、グループ全体への忠誠心(「我々のチームのために」)を求めた方が、部下はリーダーの非倫理的な要求(この実験では、不正な自己申告による報酬の獲得)に、より従いやすいことが一貫して示された。ある実験では、グループへの忠誠を求められた参加者の75%が不正行為に及んだのに対し、リーダー個人への忠誠を求められた参加者では59%に留まった。 [論文]

この発見が示唆するのは、非倫理的な要求を「公的」なもの、すなわち集団全体の利益のためであるかのように見せかけることが、個人の倫理的な抵抗感を著しく低下させるという、リーダーシップの暗黒面である。リーダー個人への要求は「利己的」と見なされ反発を招く可能性があるのに対し、「チームのため」という大義名分は、利己的な動機を覆い隠し、不正行為を崇高な目的のための手段であるかのように錯覚させる力を持つ。

不正を「正義」に変える、危険な心理メカニズム

なぜ、グループへの忠誠心は、これほどまでに強力に人の行動を歪めるのだろうか。研究はさらに、その心理的なメカニズムを解き明かしている。分析の結果、グループへの忠誠を求められた参加者は、リーダー個人への忠誠を求められた参加者に比べ、自らの不正行為を「倫理的である」と正当化する傾向が有意に高いことが明らかになった。 [論文]

この結果が浮き彫りにするのは、「チームのため」という言葉が、不正行為を正当化するための、極めて強力な「認知的な言い訳」として機能するという事実である。この正当化のプロセスを通じて、部下は罪悪感を感じることなく、むしろ集団に貢献したという満足感さえ得ることが可能になる。研究では、グループのために不正を働いた参加者は、そうでない参加者に比べて、自らの不正行為に対してより肯定的な感情を抱いていたことも示されている。 [論文] これは、不正が常態化した組織において、なぜ多くの従業員が問題意識を抱くことなく、むしろ積極的に不正に加担してしまうのかを説明する、重要な手がかりとなる。

その「忠誠心」、誰のため、何のためのものか?

この研究が示す知見は、リーダーシップと倫理の関係を考える上で、極めて重い問いを投げかける。しかし、この結果を単純化し、「忠誠心は悪である」と結論づけるのは早計だろう。

この研究は、主に個人主義的な文化が強い欧米の参加者を対象としており、集団の和を重んじる日本のような文化圏において、このメカニズムがどのように作用するかは、さらなる考察が必要である。もしかしたら、日本では「チームのため」という言葉が、より一層強力な影響力を持つ可能性も否定できない。また、リーダーと部下の信頼関係の質(LMX)や、チームメンバー間の関係の質(TMX)といった、人間関係の文脈も、忠誠心への訴えかけの効果を左右する重要な要素となるだろう。実際、この研究でも、チームメンバー間の関係が弱い場合、グループへの忠誠を求める効果が薄れることが示唆されている。 [論文]

さらに、私たちは「忠誠心」そのものの意味を問い直す必要がある。リーダー個人への盲目的な忠誠や、短期的な目標達成のための集団への忠誠は、確かに組織を危うくする。しかし、組織が掲げる本来の理念や、社会に対する責任といった、より高次の目的への忠誠心は、むしろ非倫理的な要求に「否」を突きつけるための倫理的な羅針盤となりうるのではないだろうか。

問われるべきは、忠誠心の有無ではない。その忠誠が、一体「誰」に、そして「何」に向けられているのか。その問いを常に自らに投げかけることこそが、組織を健全に保つための鍵となる。

「盲目的な忠誠」から「批判的な誠実さ」へ:倫理的な組織文化を育むための対話

これまでの議論から見えてくるのは、組織における不正行為が、一部の悪意ある個人の問題ではなく、リーダーの言葉と、それに呼応する人間の心理的傾向によって生み出される、構造的な病であるという事実だ。重要なのは、完璧なルールを作ることではなく、リーダーとメンバーが共に、自らの組織に潜む「忠誠心の罠」の存在を認識し、それを乗り越えるための対話を始めることである。

まず、あなたの「訴えかけ」を内省する

  • 困難な状況において、あなたはメンバーに「チームのためだ」という言葉を、思考停止を促す魔法の言葉として使ってはいないだろうか?

  • あなたが求める「忠誠心」とは、あなた個人の指示への服従か、それともチームが共有すべき倫理観や価値観への誠実さか?

  • メンバーが倫理的な懸念を表明したとき、あなたはそれを「チームの和を乱す行為」としてではなく、「チームを長期的なリスクから守るための貢献」として受け止める準備ができているか?

チームで築く「倫理的な免疫システム」

  • これらの内省を、チームとの対話の出発点としてみよう。

  • 私たちのチームにおいて、「チームのためなら仕方ない」という暗黙の了解のもとで見過ごされている、あるいは正当化されている慣行はないだろうか?

  • リーダーの指示やチームの方針に対して、倫理的な観点から健全な疑義を呈することが、裏切りではなく「誠実さ」の証として歓迎される文化を、どうすれば作れるだろうか?

  • 「チームへの忠誠心」の定義を、改めてチーム全員で議論してみよう。私たちが本当に忠誠を誓うべきは、目先の目標や特定の個人ではなく、顧客への価値提供や、社会に対する責任といった、より普遍的な目的ではないだろうか。

#タグ
リーダーシップ、倫理、コンプライアンス、忠誠心、組織文化

📖 書誌情報
Hildreth, J. A. D. (2024). When loyalty binds: Examining the effectiveness of group versus personal loyalty calls on followers’ compliance with leaders’ unethical requests. Organizational Behavior and Human Decision Processes, 181, 104310.