あなたの会社のイノベーションが儲からないとき

「イノベーションなくして成長なし」。この言葉は、現代のビジネスにおける絶対的な真理として、多くの経営者を突き動かしている。新しい技術、斬新なサービス、そして革新的なビジネスモデル。私たちは、常に「新しさ」を追い求めることに、ほとんど宗教的なまでの信念を抱いている。しかし、その純粋なはずの探求が、なぜか期待したほどの成果に結びつかない。むしろ、鳴り物入りで始まったプロジェクトが、収益化の壁にぶつかり、静かに消えていく。そんな光景を、私たちは何度目の当たりにしてきただろうか。

もし、私たちが信じてきた「新規性こそが価値の源泉である」という大前提そのものが、不完全な真実だとしたらどうだろうか。もし、ビジネスの成功が、一つの輝かしい要素によって決まるのではなく、新規性、効率性、顧客の囲い込みといった、複数の要素の緻密な「組み合わせ」によってのみ達成されるとしたら。この、イノベーションの神話に潜む根深いパラドクスに、私たちはどう向き合えばよいのだろうか。

なぜ「革新性」の追求が、組織を静かに蝕むのか?

この問題は、決して抽象的な議論ではない。かつて世界を席巻した日本企業が、近年イノベーションの創出に苦戦しているという指摘は、多くのビジネスリーダーが共有する危機感だろう。ボストン コンサルティング グループ(BCG)が2024年2月に発表したレポートによれば、世界の最もイノベーティブな企業ランキングにおいて、日本企業の存在感は15年前に比べて著しく低下している。 レポートは、多くの日本企業が「旧来の枯れ始めたイノベーションモデルの枠組みの中で、小さな成果は出せるものの、本当の意味でのイノベーションにはつなげられず、悪戦苦闘している」と分析する。

こうしたマクロな停滞は、私たちの現場にどのような形で現れているだろうか。ある大手メーカーで、DX推進を担う山田マネージャーのチームを想像してみてほしい。彼らは、業界に先駆けてAIを活用した画期的な顧客サポートシステムを開発した。その「新規性」は社内外から高く評価され、メディアにも取り上げられた。しかし、鳴り物入りで導入したものの、システムの運用コストは想定を大幅に上回り、既存の業務プロセスとの連携もスムーズにいかない。結果として、顧客満足度は思うように上がらず、収益への貢献も見えないまま、プロジェクトは「先進的な取り組み」という評価だけで、実利を伴わない塩漬け状態になってしまった。

多くの組織が山田氏のチームと同じような壁に突き当たる背景には、「価値創造」と「価値獲得」という、ビジネスの両輪に対する理解のアンバランスがある。「新しい価値を生み出すこと(価値創造)」にばかり目が向き、その価値をいかにして自社の利益へと転換するか(価値獲得)という、地道で戦略的な仕組みづくりが疎かになっているのだ。

「要素」から「組み合わせ」へ:ビジネスモデルを再構築する4つのレンズ

山田氏が直面したようなジレンマを、個人の能力やプロジェクトの運不運として片付けてしまうのは簡単だ。しかし、それでは本質的な解決には至らない。この課題を構造的に理解するために、私たちの思考の解像度を上げる、いくつかの概念的なレンズを手にしてみよう。

新規性(Novelty):新しい価値を生み出す力
これは、新しい製品やサービス、あるいは新しい収益モデルや顧客との関係性の構築といった、文字通り「新しい何か」を市場に導入する力である。多くのイノベーション議論の中心にあり、新たな価値のパイを創造する源泉となる。経営学の世界では、この新規性がビジネスモデルの主要な価値ドライバーの一つとして位置づけられている。

効率性(Efficiency):価値を無駄なく届ける力
どれだけ素晴らしい価値を生み出しても、それを顧客に届けるまでのプロセスが非効率であれば、利益は生まれない。取引コストの削減、サプライチェーンの最適化、スケーラビリティの確保など、ビジネスの「血管」をスムーズに流す力が効率性である。これは、創造した価値のパイから、自社の取り分(利益)を確保するための、価値獲得の根幹をなす要素だ。

顧客ロックイン(Lock-in):価値を囲い込む力
顧客が一度自社の製品やサービスを利用し始めると、他社に乗り換えるのが困難になるような仕組みを構築する力も重要だ。スイッチングコストを高めるロイヤリティプログラムや、ユーザーの利用データが蓄積されるほど価値が高まるプラットフォームなどがこれにあたる。これもまた、一度掴んだ価値を逃さないための、強力な価値獲得メカニズムである。

補完性(Complementarity):価値を高め合う力
複数の製品やサービスを組み合わせることで、それぞれを単独で提供する以上の価値を生み出す力のことだ。例えば、ハードウェアとソフトウェア、あるいは本体と消耗品のように、互いに補い合う関係性を築くことで、顧客にとっての価値を高めると同時に、競合に対する参入障壁を築くことができる。

これらの4つの要素は、それぞれが独立して機能するのではなく、相互に影響を与え合う一つのシステム、すなわち「ビジネスモデル」を形成する。真の競争優位性は、個々の要素の優劣ではなく、これらの要素がいかに巧みに「組み合わせ(コンフィギュレーション)」られているかによって決まるのだ。

294社のデータが解き明かす、ハイパフォーマンス企業「組み合わせ」の法則

では、どのような「組み合わせ」が、実際に高いパフォーマンスに繋がるのだろうか。この問いに、インターネット関連企業294社の詳細なデータ分析を通じて、新たな光を当てた研究がある。経営学者のペッテリ・レッパネン氏らが発表したこの研究は、ビジネスモデルの「新規性」が、他の価値ドライバーや企業戦略、そして外部環境とどのように相互作用し、企業の業績を左右するのかを、複雑な因果関係を捉える「ファジーセット質的比較分析(fsQCA)」という手法を用いて解き明かした。

発見1:「新規性」は、万能薬ではなかった

この研究が明らかにした最も重要な事実は、「新規性」が単独で高いパフォーマンスを保証するものではない、という点である。分析の結果、高い業績を上げている企業のビジネスモデルには、新規性だけを特徴とするものは一つも存在しなかった。 [論文]

この発見が突きつけるのは、「新規性さえあれば何とかなる」という幻想の終わりである。新規性は、あくまで価値創造の一つの要素に過ぎない。その価値を確実に利益へと転換するためには、効率性や顧客ロックインといった、価値獲得のためのメカニズムとの組み合わせが不可欠なのだ。この研究は、私たちの思考を「アイデアの斬新さ」という一点から、「価値を創造し、獲得するためのシステム全体の設計」へと転換させることを強く促す。

発見2:矛盾の共存――「新規性」と「効率性」は両立しうる

伝統的な経営戦略論では、「新規性(差別化)」と「効率性(コストリーダーシップ)」は、両立が困難なトレードオフの関係にあるとされてきた。しかし、この研究は、その常識に一石を投じる。分析の結果、高い業績を上げる企業の組み合わせの中には、「新規性」と「効率性」の両方を同時に実現しているパターンが複数存在することが明らかになった。 [論文]

これは、特にデジタル技術が浸透した現代において、新規性が効率性を高め、効率性が新たな新規性を生むという、好循環(シナジー)を生み出せる可能性を示唆している。例えば、革新的なアルゴリズム(新規性)が、サプライチェーンを劇的に効率化する。あるいは、徹底的に無駄を削ぎ落としたオペレーション(効率性)が、低価格という新しい価値提案(新規性)を可能にする。重要なのは、両者を二者択一と捉えるのではなく、いかにして両立させるかを考える、新たな戦略的思考である。

発見3:成功のレシピは一つではない――環境が「最適解」を決める

では、成功への「黄金の組み合わせ」は存在するのだろうか。この研究の答えは「否」である。どのような組み合わせが最適かは、企業が置かれた状況、すなわち「競争環境」「企業規模」、そして「技術の成熟度」によって大きく異なることが示された。 [論文]

例えば、技術がまだ黎明期にある新しい市場では、小規模な企業は「新規性」と「効率性」を組み合わせたシンプルな構成で高い成果を上げられるのに対し、大企業が成功するためには、それに加えて「顧客ロックイン」や「補完性」といった、より複雑な組み合わせが必要となる。 [論文] 逆に、技術が成熟した市場では、この関係が逆転する。小規模企業が生き残るためには、4つの価値ドライバーをすべて組み合わせた複雑なビジネスモデルが必要となり、大企業はむしろシンプルな構成で成果を上げることができる。 [論文]

この発見が私たちに教えるのは、ビジネスモデルに「唯一の正解」はなく、自社の置かれた文脈を深く理解し、それに合わせて戦略的な組み合わせをデザインすることの重要性である。

その成功法則は、あなたの業界でも通用するか?

紹介した知見は、ビジネスモデルの設計における「組み合わせ」の重要性を、説得力のあるデータで示している。しかし、この研究結果を、あらゆる組織に適用可能な万能の法則として鵜呑みにするのは危険だろう。

この研究の分析対象は、インターネット関連企業という、変化が激しく、無形資産の重要性が高い特殊な業界である。例えば、巨額の設備投資を必要とする製造業や、厳格な規制に縛られる金融業界では、ビジネスモデルの各要素が持つ意味合いや、それらの組み合わせが生み出す効果は、大きく異なる可能性がある。

また、この研究では、企業のパフォーマンスを「トービンのq(株価を資産価値で割った指標)」という、市場の期待を色濃く反映した指標で測定している。これは、企業の長期的な価値創造能力を捉える上では有効な指標だが、短期的な収益性や、顧客満足度、従業員エンゲージゲージメントといった、多面的な企業の「健康状態」をすべて映し出すものではない。

突き詰めれば、この研究が私たちに提供するのは、完成された「答え」ではなく、自社のビジネスモデルを問い直すための、強力な「問い」そのものである。「私たちのビジネスモデルは、価値創造と価値獲得のバランスが取れているか?」「私たちの戦略は、外部環境と適合しているか?」「そして何より、私たちの成功を支えているのは、個々の要素の強さなのか、それとも、それらの巧みな組み合わせなのか?」と。

戦うべきは「アイデアの枯渇」ではない、「組み合わせの不在」だ

これまでの議論が示すのは、イノベーションの成否を分ける本質的な論点が、単一の「新規性」という要素にあるのではなく、複数の価値ドライバーがいかに戦略的に組み合わされているかという、システム全体の設計思想にあるという事実だ。重要なのは、常に新しいアイデアを追い求めることだけではない。むしろ、自社が持つカード(新規性、効率性、顧客ロックイン、補完性)を深く理解し、市場環境というゲームのルールに合わせて、最強の「手札」を組み上げるという、新しい姿勢を持つことである。

まず、あなたのビジネスモデルの「健康診断」を行う

  • 価値創造と価値獲得のバランスは取れているか?:私たちのビジネスモデルは、「新規性」という価値創造のエンジンに偏りすぎていないだろうか。その価値を利益に転換するための、「効率性」「顧客ロックイン」「補完性」という価値獲得の仕組みは、十分に機能しているだろうか。

  • ビジネスモデルと戦略は整合しているか?:私たちが掲げる戦略(例えば、差別化戦略やコストリーダーシップ戦略)と、日々の活動の集合体であるビジネスモデルは、同じ方向を向いているだろうか。それとも、両者の間に矛盾やねじれは生じていないだろうか。

  • 外部環境との適合性はどうか?:私たちのビジネスモデルの「組み合わせ」は、現在の競争環境、自社の規模、そして技術の成熟度といった外部環境に対して、最適化されているだろうか。あるいは、過去の成功体験に引きずられた、時代遅れの組み合わせになってはいないだろうか。

次に、チームで「未来の設計図」を描き直す

  • これらの内省から得られた気づきを、ぜひチームとの対話の出発点としてほしい。

  • もし、私たちのビジネスモデルから「新規性」という要素を一つ取り除いたとしたら、残りの要素(効率性、ロックイン、補完性)だけで、どのようにして顧客に価値を提供し、利益を上げることができるだろうか。この思考実験は、価値獲得の仕組みを強化するための新たな視点を与えてくれるかもしれない。

  • 競合他社が成功しているビジネスモデルを、4つの価値ドライバーの「組み合わせ」という観点から分析してみよう。彼らの強さの源泉は、どの要素の、どのような組み合わせにあるのだろうか。そこから、私たちが模倣すべき、あるいは逆に避けるべきパターンは何だろうか。

📖 書誌情報
Lepp€ anen, P., George, G., & Alexy, O. (2023). When do novel business models lead to high performance? A configurational approach to value drivers, competitive strategy, and firm environment. Academy of Management Journal, 66(1), 164–194.