未曾有の危機に直面したとき、組織の命運はリーダーの双肩にかかっている、と多くの人が信じている。混乱を収拾し、メンバーを一つの方向に導くため、リーダーはすべての情報を掌握し、的確な指示を出すべきだ。そう考えるのは、自然なことかもしれない。しかし、その「常識」こそが、組織をより深刻な事態へと追い込むとしたらどうだろうか。
リーダーが情報のハブとして君臨し、コミュニケーションを中央集権化するほど、現場の自律的な連携は失われ、変化に対応する力は削がれていく。良かれと思って張り巡らせた蜘蛛の巣が、いつしか組織を窒息させる罠に変わるのだ。この根深く、多くの組織が陥るジレンマに、私たちはどう向き合えばよいのだろうか。
その「ハブ」としての振る舞いが、組織を静かに蝕む
この問題は、決して対岸の火事ではない。例えば、2024年に表面化した小林製薬の紅麹サプリ問題を巡る対応では、健康被害の初認識から公表まで約2ヶ月を要し、その情報提供の遅れが批判を招いた。[1] 危機発生時に、情報が一部に滞留し、組織全体としての迅速な意思決定が妨げられるという構図は、多くの企業不祥事で見られる共通点だ。[2]
こうしたマクロな事象は、私たちの現場にどのような影を落とすだろうか。大手IT企業で新規事業開発を率いる鈴木マネージャーの姿を想像してみてほしい。ある日、ローンチ直後のプロダクトに深刻なシステム障害が発覚する。顧客からのクレームが殺到し、チームはパニック状態に陥った。鈴木氏は事態を収拾するため、「全ての情報は私を通すように」と厳命。開発チームとカスタマーサポートチーム間の直接のやり取りを制限し、自身が情報のハブとなることで、混乱をコントロールしようと試みた。しかし、その結果、現場で起きている微細な変化や、部門間で共有されるべき重要な気づきは鈴木氏のもとで滞り、かえって対応の遅れを招いてしまった。メンバーは指示を待つだけになり、かつての自律的な動きを失っていく。
このような状況が多くの組織で生まれる背景には、不確実性が増す現代において、リーダーシップの役割そのものが大きな問いに直面しているという現実がある。変化の激しい時代に求められるのは、強力な中央集権型のコントロールではなく、むしろ現場の隅々にまで情報を行き渡らせ、組織全体の「集合知」を発揮させるような、新たなリーダーの姿なのかもしれない。
思考のレンズを交換する:「情報の水門」から「水路の設計者」へ
先ほど見たようなジレンマを、個人の資質や能力の問題として片付けるのは容易だ。しかし、それでは根本的な解決には至らない。この課題を構造的に理解するため、いくつかの概念的なレンズを手にしてみよう。
情報の「ボトルネック」としてのリーダー
危機的状況下でリーダーがすべての情報を集約しようとする行為は、組織全体の情報流通における「ボトルネック」を生み出す。各部署から集められた情報は、リーダーという一点で渋滞を起こし、その処理能力が組織全体のスピードの上限を決めてしまう。このような現象は、社会ネットワーク論ではリーダーが意図的に情報格差を維持し、コントロールを強める『ブローカレッジ』戦略の一つの側面として分析されており、特に「Tertius Gaudens(楽しむ第三者)」と呼ばれるあり方と重なる。
組織の「集合的適応能力」という免疫系
一方で、予測不能な変化に柔軟に対応できる組織は、特定のリーダーに依存するのではなく、組織全体で情報を共有し、解決策を編み出していく能力を持っている。これは、いわば組織の免疫システムのようなものだ。こうした現場の対応力は、経営学では『組織適応(Organizational Adaptation)』と呼ばれている。この適応を可能にするのが、組織内コミュニケーションの「効率性(Efficiency)」、つまり情報伝達の速さと、「結束性(Cohesion)」、すなわちメンバー間の繋がりの強さだと考えられている。
111店舗のデータが明かす、危機を乗り越えるリーダーの振る舞い
この複雑な問いに、新たな光を当てる一つの研究がある。中国の大手飲食チェーンに属する111店舗、3,000人以上の従業員を対象に行われたこの調査は、COVID-19という未曾有の危機が組織を襲った前後で、リーダーの行動と店内のコミュニケーション構造がどのように変化し、それが最終的に事業の回復にどう結びついたのかを克明に追跡した。
リーダーが「繋がない」ほど、組織は脆弱になるという逆説
この研究が私たちに見せてくれるのは、直感に反するかもしれない一つの光景だ。分析の結果、リーダーがメンバー間のコミュニケーションを積極的に仲介し、情報のハブとして振る舞う(=ブローカレッジを高める)店舗ほど、組織全体のコミュニケーションネットワークが非効率になる、つまり情報伝達に時間がかかるようになっていた(平均経路長との関係、b = .21)。 [論文] さらに、そうした店舗では、組織全体の繋がり(ネットワーク密度、b = –.34)や、身近な同僚との繋がり(クラスター係数、b = –.41)といった結束力も有意に低下していたことが明らかになった。 [論文]
この発見が浮き彫りにするのは、危機時にリーダーが良かれと思って行いがちな「情報の一元管理」が、意図せずして組織の神経網を麻痺させ、全体としての対応力を削いでしまうという皮肉な現実である。リーダーは情報の「水門」を管理するのではなく、組織内にくまなく情報が行き渡る「水路」を設計する役割を担うべきなのかもしれない。
事業回復の鍵は「全体」の結束にあり
では、どのようなコミュニケーション構造が、組織の適応力を高めるのだろうか。研究はさらに、ネットワークの特性と、現場の適応行動(新規顧客の獲得やスキルの学習など)との関係を分析した。その結果、情報伝達が速い「効率的」なネットワーク(b = –.32)と、組織全体が広く繋がっている「グローバルな結束性」(b = .28)が高い店舗ほど、従業員の集合的な適応力が高まることが示された。 [論文]
興味深いことに、部署内や小グループ内の繋がりが密である「ローカルな結束性」は、組織全体の適応力に直接的な影響を与えていなかった(b = –.01)。 [論文] この事実は、危機を乗り越えるためには、単に内輪の仲が良いだけでは不十分であり、部門や役割の壁を越えて情報と知恵が迅速に共有される仕組みこそが生命線であることを物語っている。
「適応力」は、客観的な業績となって表れる
最終的に、この研究は、組織の「適応力」が単なる精神論ではないことを、客観的なデータで証明している。集合的な適応度が高い店舗は、その後の顧客成長率の軌道が有意に高く(b = .28)、人件費率の軌道は低く抑えられていた(b = –.30)。 [論文]
これは、リーダーのミクロな振る舞いが、組織内のコミュニケーションという中間的な構造を形成し、それが現場の適応力を引き出し、最終的に目に見えるマクロな事業成果へと繋がるという、一連のダイナミックな因果の連鎖を示唆している。
この発見の地図は、全ての組織を導くか?
紹介した知見は、危機におけるリーダーシップのあり方を考える上で、極めて重要な示唆を与えてくれる。しかし、この一枚の地図だけを頼りに、あらゆる荒波を乗り越えられると考えるのは早計だろう。
この研究の舞台は、中国の飲食業界という特定の環境である。例えば、高度な専門知識が求められる研究開発部門や、トップダウンの意思決定が不可欠な安全保障に関わる組織では、最適なコミュニケーションのあり方は異なるかもしれない。また、危機の性質そのものにも目を向ける必要がある。内部不正やコンプライアンス違反のように、情報の拡散自体がリスクとなる状況では、オープンな情報共有が最善手とは限らないだろう。
さらに言えば、リーダーの振る舞いだけが全てではない。従業員間の信頼関係や、失敗を恐れずに発言できる心理的安全性といった、組織に根付く文化的な土壌が、コミュニケーションの質を大きく左右することも見逃せない視点だ。これらの要素を抜きにして、単純にリーダーの「繋ぐ」行動だけを推奨することは、新たな問題を生む可能性すらある。
突き詰めれば、問われるべきは「情報を統制するか、開放するか」という二者択一ではない。むしろ、自らが置かれた状況の特性を深く理解し、それに合わせて組織内の「情報の代謝」をいかにデザインするかという、より高次の問いへと私たちの思考は導かれる。
「情報の流れ」を再設計する、リーダーシップへの新たな問い
これまでの議論を踏まえると、危機対応の成否を分ける本質的な論点が、個人の能力や精神論ではなく、組織内の「情報の流れの構造」にあるという事実が浮かび上がってくる。重要なのは、完璧な解決策を探し求めることではなく、これまで当然とされてきた「リーダーは情報のハブであるべきだ」という思考の前提そのものを問い直す、新しい姿勢を持つことなのかもしれない。
まず、あなた自身の「情報動脈硬化」を診断する
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危機的な状況や予期せぬ問題が発生した際、自分はまず情報を一手に集め、部下には自身の判断を待つよう指示してはいないか?
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異なる役割を持つメンバー同士が、自分を介さずに直接コミュニケーションを取ることを、効率が悪い、あるいは秩序を乱すものとして、無意識に妨げていないだろうか?
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チーム内の報告・連絡・相談は、特定の人物に過度に集中していないか。もしその人物が不在になった場合、情報の流れは滞ってしまうのではないか。
「情報の淀み」を解消し、組織の生命力を高める対話
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個人の内省から見えてきた気づきをもとに、チームで対話の場を設けてみよう。
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私たちの組織において、部門間や役職間に存在する「情報の壁」は具体的にどこにあるだろうか。その壁が生まれてしまう構造的な原因は何か?
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緊急時に、リーダーの承認を待たずとも、現場のメンバーが自律的に判断し、他部署と連携できるようなルールや仕組みを設計できないか。例えば、どのような情報を、どの範囲まで共有することを許可できるだろうか。
#タグ
危機管理、リーダーシップ、組織開発、コミュニケーション、ソーシャルネットワーク分析
📖 書誌情報
Li, N., Zheng, X., & Liu, C. (2024). Leadership in a Crisis: A Social Network Perspective on Leader Brokerage Strategy, Intra-Organizational Communication Patterns, and Business Recovery. Journal of Management, 51(5).