なぜ、正しいリーダーシップが「空回り」に終わるのか?――部下の「睡眠不足」が、チームの創造性を静かに蝕む

心理的安全性を確保し、明確なビジョンを共有し、一人ひとりの声に耳を傾ける。現代のリーダーシップ論が示す「正しい」とされる実践の数々を、多くのリーダーは真摯に実行しようと試みている。チームのエンゲージメントを高め、自律的なイノベーションが次々と生まれる、そんな活気ある組織を目指して。しかし、現実はどうだろうか。あらゆる手を尽くしているはずなのに、チームの創造性は一向に高まらない。メンバーは疲弊し、新しいアイデアは枯渇していく。

この埋まらない理想と現実のギャップを前に、リーダーは自問する。「私の何が間違っているのだろうか?」と。しかし、もしその原因が、リーダーシップの領域の外、これまで誰もが見過ごしてきた、より根源的な場所にあるとしたら。もし、チームの創造性を蝕む真犯人が、意欲や能力の問題ではなく、もっと単純で、しかし抗いがたい「生理的な限界」にあるとしたら。この根深く、多くの組織が直面する課題に、私たちはどう向き合えばよいのだろうか。

ついに解明された、燃え尽き症候群の「もう一つの顔」

この問題は、決して対岸の火事ではない。厚生労働省が2024年8月に公表した調査によれば、現在の仕事や職業生活に関することで、強いストレスとなっていると感じる事柄がある労働者の割合は8割を超え、その内容は「仕事の量」が最も高くなっている。 多くの企業で、従業員のメンタルヘルス不調が深刻な経営課題として認識され、その背景には過重労働という構造的な問題が横たわっているのだ。

こうしたマクロな潮流は、私たちの現場にどのような影を落とすだろうか。急成長するITスタートアップで、開発チームを率いるマネージャーの井上氏の姿を想像してみてほしい。彼女は、公正で透明性の高いコミュニケーションを信条とし、メンバーが安心して挑戦できる環境作りに心血を注いできた。しかし、エースとして期待していた若手エンジニアの佐藤氏のパフォーマンスが、ここ数ヶ月、明らかに低下している。彼のコードからはかつての輝きが失われ、新しい技術への探求心も影を潜めている。井上氏は、1on1ミーティングで彼のキャリアへの不安やモチベーションについて対話を試みるが、核心には触れられない。彼女は知らない。佐藤氏が、連日の長時間労働とプレッシャーから、慢性的な睡眠不足に陥っていることを。

多くの組織で見られるこのようなすれ違いは、私たちが従業員のパフォーマンスを「意欲」や「エンゲージメント」といった心理的な側面からのみ捉えようとする、思考の癖を浮き彫りにする。心と体は不可分であるという自明の理を、私たちは多忙な日常の中で、あまりにも簡単に見過ごしてしまっているのかもしれない。

「当事者意識」と「創造的自信」:イノベーションを育む二つの心理的エンジン

井上氏が直面したようなジレンマを、個人の精神論や根性論で終わらせないために、この課題を構造的に理解するための、いくつかの概念的なレンズを手にしてみよう。

仕事への没入感を生む「心理的オーナーシップ」
従業員が、自分の仕事や組織に対して「これは自分のものである」という感覚を持つとき、彼らはより深く業務に没入し、責任感を持って取り組むようになる。この当事者意識は、単なる義務感を越え、自発的な貢献意欲の源泉となる。このような現象は、経営学の世界では『心理的オーナーシップ(Psychological Ownership)』と呼ばれており、従業員のエンゲージメントを高める上で極めて重要な心理状態だと考えられている。

挑戦する勇気の源泉:「創造的自己効力感」
新しいアイデアを生み出し、それを実行に移すという行為には、失敗のリスクが常に伴う。そのリスクを乗り越え、未知の領域に踏み出すためには、「自分なら創造的な成果を生み出せる」という自信が不可欠である。この、自らの創造的能力に対する信念は、『創造的自己効力感(Creative Self-Efficacy)』と呼ばれている。この自己効力感が高い従業員ほど、困難な課題に対しても粘り強く、革新的な解決策を見出そうと努力する傾向がある。

550人のデータが暴く、倫理的リーダーシップの思わぬ落とし穴

この複雑な問いに、新たな光を当てる一つの研究がある。経営学者のムハンマド・イムラン・ラシード氏らが発表したこの研究は、米国のホスピタリティ業界で働く550人以上の従業員を対象とした2つの調査を通じて、リーダーの倫理的な振る舞いが、いかにして部下のサービス・イノベーション行動を引き出すのか、そして、そのポジティブな連鎖を断ち切ってしまう「見過ごされた要因」とは何かを明らかにした。

倫理性が「当事者意識」と「自信」を育む、二つの経路

この研究が私たちに見せてくれる最初の光景は、倫理的なリーダーシップが、いかにして部下の心に火を灯すかという、ポジティブなメカニズムである。分析の結果、リーダーが公正で、誠実で、部下への配慮を欠かさない「倫理的リーダー」であると認識されているほど、部下は自らの仕事に対する「心理的オーナーシップ」(β = 0.47, p < .001)と、「創造的自己効力感」(β = 0.16, p < .01)を強く持つ傾向にあることが示された。 [論文] そして、これらの心理状態は、最終的に従業員のサービス・イノベーション行動へと結びついていた。 [論文]

この発見が示唆するのは、倫理的なリーダーシップが、単なる「良いこと」に留まらない、極めて実践的な価値を持つという事実である。リーダーの倫理的な振る舞いは、部下が直面する「これを試して失敗したらどうしよう」という不確実性やリスクを低減させる。その安心感が、「この仕事は自分のものだ」という当事者意識と、「自分ならできる」という自信を育み、創造的な行動への扉を開くのだ。

静かなる創造性の阻害要因:睡眠不足という名の不都合な真実

しかし、物語はここで終わらない。この研究の最も衝撃的な発見は、このポジティブな連鎖をいとも簡単に断ち切ってしまう、ある「境界条件」の存在を明らかにしたことにある。それは、従業員の「睡眠の質」であった。

分析の結果、従業員の睡眠の質が低い場合、たとえ彼らがどれだけ高い「創造的自己効力感」を持っていたとしても、それが実際のサービス・イノベーション行動には結びつきにくくなることが判明したのである(β = 0.11, p < .05)。 [論文] つまり、リーダーがどれだけ素晴らしい環境を整え、部下の自信を育んだとしても、その部下が十分な質の睡眠をとれていなければ、その努力は水泡に帰す可能性が高いのだ。

この結果が浮き彫りにするのは、創造性という高度な認知活動が、いかに脆弱な生理的基盤の上に成り立っているかという、動かしがたい現実である。睡眠不足は、思考の柔軟性や発想力を司る脳の前頭前野の機能を低下させることが知られている。リーダーが部下の心に灯した「自信」という火も、睡眠不足という名の「酸素不足」の前では、輝きを失ってしまうのだ。興味深いことに、心理的オーナーシップからイノベーションへの経路は、睡眠の質による影響を受けなかった。 [論文] これは、当事者意識という、より安定的でアイデンティティに近い感情と、創造性の発揮という、より多くの認知資源を要する行動との間に、質的な違いがあることを示唆している。

睡眠は万能薬か?――この視点の光と影

紹介した知見は、従業員の創造性やパフォーマンスを考える上で、「睡眠」というこれまで見過ごされがちだった要素に、強力なスポットライトを当てるものだ。しかし、この視点を、あらゆる問題を解決する万能薬として捉えるのは早計だろう。

この研究の舞台は、シフト勤務が多く、身体的・精神的負荷が高いとされる米国のホスピタリティ業界である。例えば、より裁量権が大きく、働き方の自由度が高い知識労働者にとって、睡眠の質が創造性に与える影響は、また異なる様相を呈するかもしれない。また、この研究では睡眠の質を主観的な自己評価で測定しており、客観的なデータに基づいた、より精密な分析が今後の課題として残されている。

さらに言えば、この研究は、個人の生理的状態というミクロな要因に焦点を当てているが、その背景にあるマクロな構造を見過ごしてはならない。従業員の睡眠不足は、単なる自己管理の問題ではなく、過剰な労働時間、達成不可能なノルマ、そして「休むことは悪である」という組織文化といった、より根源的な問題の「症状」として現れている場合がほとんどだ。

突き詰めれば、問われるべきは「従業員は十分に眠っているか」という対症療法的な問いだけではない。むしろ、「私たちの組織は、従業員が人間として、心身ともに健康でいられるような働き方を、構造的に許容できているか」という、より本質的な問いへと私たちの思考は導かれる。

戦うべきは「意欲の低下」ではない、「認知資源の枯渇」だ

これまでの議論が示すのは、チームの創造性の欠如という問題が、しばしば「意欲の低下」という皮を被った、「認知資源の枯渇」という本質を隠し持っているという事実だ。重要なのは、精神論で部下を鼓舞することではなく、彼らが創造性を発揮するための、最も基本的な土台である心身の健康を、組織としていかに守り、育んでいくかという、新しい視点を持つことである。

まず、あなた自身の「観察のレンズ」を磨く

  • 最近パフォーマンスが低下している部下に対して、「やる気がないのでは?」と結論づける前に、「疲れているのでは?」という仮説を立ててみたことはあるだろうか。

  • チームの残業時間や休日出勤の実態を、客観的なデータとして把握しているだろうか。そのデータは、チームが持続可能なペースで働けていることを示しているだろうか。

  • 1on1ミーティングにおいて、業務の進捗やキャリアプランだけでなく、部下の健康状態やプライベートとの両立について、安心して話せるような信頼関係を築けているだろうか。

次に、チームの「OS」を再設計する対話

  • これらの内省から得られた気づきを、ぜひチームとの対話の出発点としてほしい。

  • 私たちのチームにおいて、成果を出すことと同じくらい、「健康的に働くこと」を重要な価値として共有することはできるだろうか。そのために、どのような行動規範(例えば、勤務時間外の連絡を控える、有給休暇の取得を奨励するなど)を設けることができるだろうか。

  • チームの業務プロセスの中に、非効率な作業や、特定の個人に過剰な負荷を強いる「ボトルネック」は存在しないだろうか。全員で知恵を出し合い、よりスマートな働き方をデザインすることはできないか。

#タグ
倫理的リーダーシップ、イノベーション、睡眠、バーンアウト、組織文化

📖 書誌情報
Rasheed, M. I., Hameed, Z., Kaur, P., & Dhir, A. (2024). Too sleepy to be innovative? Ethical leadership and employee service innovation behavior: A dual-path model moderated by sleep quality. Human Relations, 77(6), 739–767.