同じ言葉を発したはずなのに、なぜか評価が分かれる。男性リーダーが口にすれば「力強い決断」と賞賛される言葉が、女性リーダーの口から出た途端、「独善的」「冷たい」というレッテルにすり替わる。多くの組織で、このような不可解な現象が後を絶たない。この見えざる壁は、女性がリーダーシップを発揮する上での大きな足枷となっている。
私たちはこの問題を、個人のコミュニケーションスキルの巧拙や、あるいは単なる「相性」の問題として片付けてしまいがちだ。しかし、もしこの不均衡が、私たちの社会や組織の奥深くに根ざした、より構造的なメカニズムによって生み出されているとしたらどうだろうか。リーダーの言葉がどのように受け取られるかは、その言葉の内容だけでなく、語り手の「属性」――特にジェンダーや人種といった要素によって、無意識のうちに歪められているのではないか。この根深く、しかし目を背けることのできない問いに、私たちはどう向き合えばよいのだろうか。
「あの人は、ちょっとキツイよね」――その一言が、才能を葬り去る
この問題は、決して一部の組織に限った話ではない。日本においても、女性の管理職比率は依然として低い水準にあり、その背景には評価制度における無意識のバイアス(アンコンシャス・バイアス)の存在が指摘され続けている。2024年5月に日本経済新聞が報じたところによると、プライム市場上場企業における女性役員の比率は15.4%に留まっており、政府が目標とする「2030年までに30%」には程遠いのが現状だ。 この数字の裏には、能力や実績とは別の次元で、女性リーダーが正当な評価を得られていない現実が横たわっている。
こうしたマクロな課題は、私たちの現場にどのような形で現れるだろうか。伝統的な製造業のマーケティング部門で、初の女性部長となった佐藤氏の姿を想像してみてほしい。彼女は着任以来、データに基づいた大胆な戦略を次々と打ち出し、停滞していたチームに新しい風を吹き込もうと奮闘している。しかし、彼女のロジカルで率直なコミュニケーションスタイルは、一部の役員や年長の部下から「情がない」「厳しすぎる」と陰で評されていた。一方で、同じようにトップダウンで物事を進める男性の事業部長は、「決断力がある」と評価されている。佐藤氏は、成果を出すために必要な「力強さ」を示せば示すほど、人間的な「温かみ」を欠いた人物という評価が固まっていくという、出口のない迷路に迷い込んでいる。
このような状況は、単に個人の資質の問題としてではなく、私たちの社会が「リーダー」という役割に対して、そして「女性」という存在に対して、いかに固定化された期待を抱いているかという、根源的な問題を映し出している。その固定観念こそが、才能あるリーダーの可能性を摘み取り、組織全体の活力を削いでいるのかもしれない。
評価の「ものさし」は、誰のために作られたのか?
佐藤氏が直面したようなジレンマを、感情論や個人の努力目標で終わらせないために、この問題を構造的に理解するための概念的なレンズを手にしてみよう。
期待への裏切りが呼ぶ罰:「バックラッシュ」
社会には、特定の集団(例えば「女性」や「男性」)に対して、「こうあるべきだ」という暗黙の期待や規範が存在する。個人がその期待に反する行動をとったとき、周囲から否定的な評価を受けたり、罰せられたりする現象が起こる。このような現象は、社会心理学では『バックラッシュ(反発)』と呼ばれている。女性リーダーが「温かく、協調的であるべき」という伝統的な女性像から逸脱し、「断固とした、支配的な」態度を示すと、このバックラッシュの対象となりやすい。
差別の交差点:「インターセクショナリティ」
「女性」という一つのカテゴリーの中にも、多様な経験が存在する。例えば、白人女性が直面する困難と、黒人女性が直面する困難は、同じ「女性」であってもその性質が大きく異なる。ジェンダー、人種、階級といった複数の社会的属性が交差(インターセクト)することで、独自の差別や抑圧の形態が生まれる。この視点は『インターセクショナリティ』と呼ばれ、単一のカテゴリーだけでは見えてこない、複雑な不平等の構造を解き明かすための重要な思考の道具である。
25万件の議会発言と100万件のツイートが語る、リーダーの言葉のジェンダー格差
この複雑な問いに、膨大な言語データを用いて光を当てた画期的な研究がある。経営学者シドニー・ハーストン・デュプリー氏が行ったこの研究は、米国議会の議員たちが発した25万件以上の公式発言と、100万件近いツイートを自然言語処理技術で分析し、リーダーの言葉遣いに潜むジェンダーと人種のパターン、そしてそれが周囲にどう受け止められるかを克明に描き出した。
女性は「男性的」に語り、男性はそうではなかったという逆説
この研究が私たちに見せてくれる最初の光景は、多くの人の直感を裏切るものかもしれない。分析の結果、女性リーダーは男性リーダーに比べて、公の場で「力強い」「競争力のある」「断固とした」といった、一般的に「支配的」と見なされる言葉を、統計的に有意に多く使用していたことが明らかになった。 [論文]
この発見が示唆するのは、女性リーダーたちが、「女性は従順である」という社会的なステレオタイプを自覚し、それを打ち破るために、意識的あるいは無意識的に、より力強い言葉を選んで自らを表現しているという可能性である。リーダーシップと「力強さ」が分かちがたく結びついている世界で、彼女たちは言葉を武器に、自らの適格性を証明しようとしているのかもしれない。
白人女性 vs 有色人種の女性:誰が「力強さ」を語ることを許されるのか
しかし、この物語はさらに複雑な様相を呈する。研究者がデータを人種別に分析したところ、この「女性リーダーがより支配的な言葉を使う」という傾向は、実は白人女性リーダーにのみ見られる現象であることが判明した。黒人やラティーナの女性リーダーたちは、同じ人種の男性リーダーと比較して、特に支配的な言葉を多用しているわけではなかったのだ。 [論文]
これは、ジェンダーと人種が交差する点に潜む、深刻なダブルバインドを浮き彫りにする。黒人女性は「怒れる黒人女性」、ラティーナは「情熱的で気性が激しい」といった、人種化されたジェンダー・ステレオタイプにさらされやすい。彼女たちは、支配的な言葉を使うことで、こうしたネガティブなステレオタイプを強化してしまい、より厳しい反発(バックラッシュ)を招くことを予期している可能性がある。その結果、白人女性が「力強さ」を語ることでステレオタイプを覆そうとする一方で、有色人種の女性は、別のステレオタイプの罠を避けるために、その戦略を取ることができないという、不均衡な状況が生まれている。
「冷たい」というレッテル:言葉が引き起こす評価の罠
では、リーダーたちが発した言葉は、周囲にどう受け止められるのだろうか。研究は、約18,000件の新聞の論説記事を分析し、リーダーの言葉遣いとメディアによる人物評の関係を調査した。その結果、女性リーダーが支配的な言葉を使えば使うほど、メディアは彼女たちを「支配的」であると同時に「冷たい」と評する傾向が強まることがわかった。男性リーダーには、このような関連は見られなかった。 [論文]
さらに衝撃的なのは、このメディアによるバックラッシュが、黒人女性とラティーナのリーダーに対して最も強く現れていたという事実である。 [論文] 彼女たちが力強い言葉を発したとき、メディアはそれを最も厳しく「支配的で冷たい」というレッテルに結びつけていた。皮肉なことに、自らは支配的な言葉の使用を抑制しているにもかかわらず、ひとたびそれを使えば、最も厳しい罰を受けるのが彼女たちだったのだ。
最終的に、模擬的なSNSプロフィールを用いた実験では、黒人女性リーダーが支配的な言葉を使った場合、有権者からの「好感度」が有意に低下することが示された。このネガティブな効果は、黒人男性や白人の男女リーダーには見られなかった。 [論文]
この知見は、日本の組織をどこまで映し出す鏡となるか?
紹介した研究は、米国政治という特殊な文脈を舞台としているが、その発見は日本の組織で働く私たちにとっても、決して他人事ではない。この知見を絶対的な真実として受け取るのではなく、自らの組織文化や慣行を映し出す鏡として用いることで、より深い洞察を得ることができるだろう。
この研究は、リーダーシップの評価がいかに文化的な文脈に依存しているかを教えてくれる。例えば、日本では「和を以て貴しと為す」という価値観が根強く、過度に支配的なコミュニケーションは、男女を問わず敬遠される傾向があるかもしれない。しかしその一方で、「女性は協調的であるべき」というジェンダー・ステレオタイプが、女性リーダーの決断力や実行力を不当に低く評価する土壌となっている可能性も否定できない。
また、この研究の核心である「インターセクショナリティ」の視点は、日本社会の文脈に置き換えて考える必要がある。人種の問題は、日本では国籍や民族、あるいは正規・非正規雇用といった、異なる形の社会的階級や属性の交差として現れるかもしれない。重要なのは、単一のカテゴリーで人を判断することの危険性を認識し、一人ひとりが持つ複数のアイデンティティが、その人の経験をいかに独自のものにしているかを理解しようと努めることだ。
突き詰めれば、この研究が私たちに突きつけるのは、「どのような言葉が正しいか」という単純な問いではない。むしろ、「私たちの組織は、多様な背景を持つリーダーたちが、自分らしい言葉で語ることを本当に許容できているか」という、より本質的な問いなのである。
「話し方」を変える前に、組織の「聞き方」を問い直す
これまでの議論が示すのは、女性リーダーが直面するコミュニケーションの困難が、個人のスキル不足ではなく、評価する側の無意識の偏見という、根深い構造に起因しているという事実だ。だとすれば、本当に変えるべきは、彼女たちの「話し方」なのだろうか。むしろ、私たち一人ひとりの、そして組織全体の「聞き方」そのものを問い直すことこそが、本質的な解決への第一歩となるのかもしれない。
まず、あなた自身の「無意識のレンズ」を覗き込む
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あるリーダーの発言を聞いたとき、その内容だけでなく、「誰が」言ったかによって、自分の解釈が無意識に変わってはいないだろうか。
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男性リーダーの直接的な指示を「明確で頼もしい」と感じる一方で、女性リーダーの同様の指示に、どこか「高圧的だ」と感じてしまうことはないか。
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チームメンバーの評価を行う際、客観的な成果だけでなく、「人柄」や「温かみ」といった、ジェンダー・ステレオタイプの影響を受けやすい曖昧な基準に頼ってはいないだろうか。
「評価のOS」をアップデートする、チームでの対話
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これらの内省から得られた気づきを、ぜひチームとの対話の出発点としてほしい。
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私たちのチームや組織において、「効果的なリーダーシップ・コミュニケーション」とは、具体的にどのような行動を指すのか。その定義を、ジェンダーやその他の属性に関わらず適用できる、より客観的で行動ベースの言葉で書き出すことはできるだろうか。
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メンバーが、リーダーのスタイルに対して建設的なフィードバックを安心して提供できるような「心理的安全性」は、どのようにすれば確保できるだろうか。評価が、一方的な「罰」ではなく、相互の成長のための「対話」となるための仕組みを考えよう。
#タグ
リーダーシップ、ダイバーシティ&インクルージョン、アンコンシャス・バイアス、コミュニケーション、インターセクショナリティ
📖 書誌情報
Dupree, C. H. (2024). Words of a Leader: The Importance of Intersectionality for Understanding Women Leaders’ Use of Dominant Language and How Others Receive It. Administrative Science Quarterly, 69(2), 271–323.