なぜ、スタートアップはシリコンバレーに吸い寄せられるのか?

米国のスタートアップエコシステムは、なぜこれほどまでに地理的に偏在しているのだろうか。カリフォルニア、マサチューセッツ、ニューヨークといった一部の「VCハブ」に、ベンチャーキャピタル(VC)の資金と、それによって成長するスタートアップが集中する。この「一極集中」は、地域間の経済格差を拡大させ、イノベーションの機会を一部の地域に限定してしまうのではないか。

なぜ、有望なアイデアを持つ地方の起業家は、資金調達に苦しみ、結果としてVCハブへの移転を余儀なくされるのか。その根本的な原因は、起業家の能力やアイデアの質にあるのだろうか。それとも、VCという「リスクマネーの供給網」そのものに、構造的な偏りが存在するのだろうか。

この根深く、複雑な課題に、私たちはどう向き合えばよいのだろうか。

なぜ、あなたの街には、ユニコーンが生まれないのか?

近年、日本でも「スタートアップ・エコシステムの拠点都市」を選定し、地方の起業家を支援しようとする動きが活発化している。しかし、依然として資金調達の機会は東京に集中しており、地方のスタートアップがVCから資金を調達するハードルは高いままだ。

例えば、日本経済新聞は、国内のVC投資額の大部分が東京に拠点を置くスタートアップに集中している現状を報じている。この「資金の偏在」は、地方の経済成長を阻害し、優秀な人材の流出を招く一因となっている。

この問題は、他人事ではない。地方都市で画期的な技術を持つスタートアップを立ち上げた佐藤さんも、この壁に直面していた。彼女の事業は、地元のエンジェル投資家からは高い評価を得たものの、事業をスケールさせるために必要なVCからの資金調達には至っていない。VCの担当者からは、「事業は面白いが、我々の拠点から遠すぎる。密な支援が難しい」という理由で、投資を断られ続けている。

「このままでは、事業を成長させることはできない。会社ごと、東京に移転するしかないのか…」。佐藤は、生まれ育った故郷を離れるという、苦渋の決断を迫られていた。

このような課題が多くの地域で起こるのは、VCの投資行動が、本質的に「地理的な近接性」に強く依存しているからだ。VCは、投資先の情報を収集し、投資後の経営を支援するために、頻繁な対面でのコミュニケーションを必要とする。その結果、VCは自らの拠点の近くに集積し、その周辺のスタートアップに集中的に投資するという「自己強化ループ」が生まれる。このループから外れた地域のスタートアップは、たとえ有望であっても、資金調達の機会から構造的に排除されてしまうのである。

複雑な課題を構造的に捉えるための「思考の道具」

佐藤さんが直面したようなジレンマを、単なる個々のVCの投資スタイルの問題として片付けるのではなく、構造的に分析するための思考の道具をいくつか紹介する。

リスクマネーの供給ショック
VCの資金源は、年金基金や金融機関といった機関投資家(リミテッド・パートナー、LP)である。もし、何らかの外部的な要因(例えば、法規制の変更)によって、特定のLPからの資金供給が突如として断たれた場合、それはVCにとって「供給ショック」となる。このショックが、VCの投資行動、ひいてはスタートアップの資金調達環境にどのような影響を与えるかを分析することは、VCの役割を理解する上で重要である。

金融仲介における地理的摩擦
VCは、LPから預かった資金をスタートアップに投資する「金融仲介機関」である。この仲介プロセスには、情報の非対称性といった「摩擦」が存在し、特に地理的な距離はその摩擦を増大させる。VCが遠隔地のスタートアップへの投資をためらうのは、この地理的摩擦が原因である。

スタートアップの移転と集積
資金調達に困難を抱えたスタートアップは、より資金が豊富な地域へと移転するインセンティブを持つ。この個々のスタートアップの移転というミクロな行動が積み重なることで、マクロレベルでの「スタートアップの地理的集積(Agglomeration)」が形成・強化されていく。

意図せざる規制が暴いた、VCの「見えざる手」

この問いに対し、Chen and Ewens (2025)が金融経済学のトップジャーナルである The Journal of Finance で発表した研究は、まるで壮大な社会実験のような鋭い視点を提供している。この研究は、2014年に米国で施行された「ボルカー・ルール」という銀行規制の変更が、VCの資金供給網に意図せざる「供給ショック」を与えたことに着目。このショックが、歴史的にVCが乏しかった地域にどのような影響を及ぼし、スタートアップの地理的集積をどう変えたのかを、差の差分法という厳密な手法を用いて分析したものである。

この研究が私たちに見せてくれるのは、VCというリスクマネーの供給が、単に有望な企業を選別するだけでなく、スタートアップの地理的な分布そのものを規定する、強力な「見えざる手」として機能しているという、驚くべき光景だ。

1. 銀行規制が、地方VCの「兵糧」を断った

ボルカー・ルールは、銀行がVCファンドへ投資することを禁止した。この規制の影響は、全米で一様ではなかった。研究によれば、シリコンバレーなどのVCハブでは、VCの資金源(LP)に占める銀行の割合は低かった。しかし、中西部や南部の「VC過疎地」では、銀行はVCにとって極めて重要な資金の出し手だったのである。

この発見が示唆するのは、意図せざる規制の変更が、地方のVCの資金調達能力を直撃したという事実だ。規制の影響を強く受けた地域のVCは、ファンドの規模が平均で20%縮小し、次のファンドを設立できる確率も10%低下した。これは、地方のスタートアップエコシステムを支える「兵糧」が、突如として断たれたことを意味する。

2. 資金不足は、地方スタートアップの評価額を直撃した

VCの資金調達難は、即座に地方のスタートアップに波及した。研究によれば、規制の影響を受けた地域のスタートアップは、資金調達額が減少し、企業の評価額(バリュエーション)も9%低下した。

これは、VCの資金供給が減少すると、スタートアップとVCの間の交渉力がVC側に傾き、スタートアップが不利な条件での資金調達を余儀なくされることを示している。地方の起業家は、アイデアの価値を正当に評価されず、買い叩かれるという現実に直面したのだ。

3. スタートアップは、資金を求めて「VCハブ」へ大移動した

そして、この研究の最も衝撃的な発見は、資金調達に窮した地方のスタートアップが、州を越えて「移転」を始めたことである。そして、その移転先は、カリフォルニア、マサチューセッツ、ニューヨークといった、規制の影響が少なく、依然として資金が豊富な「VCハブ」に集中していた。

規制の影響を強く受けた州からカリフォルニアへの移転者数は、規制後に30%以上も増加した。この事実は、スタートアップの地理的集積が、単なる知識の集積や人材の豊富さだけでなく、「リスクマネーへのアクセス可能性」によって、強力に規定されていることを明確に示している。地方のVCが枯渇すると、スタートアップは自らの生存をかけて、資金のある場所へと移動せざるを得ないのだ。

この「悲劇」は、対岸の火事ではない

もちろん、どのような優れた研究も、それ一つで全てを語ることはできない。Chen and Ewensの研究は、米国のVC市場という特定の文脈を対象としており、銀行セクターの役割や法規制が異なる日本の状況に、この結果をそのまま当てはめることはできないかもしれない。

また、この研究はスタートアップの「移転」という行動に焦点を当てているが、移転できずに事業の縮小や廃業を余儀なくされたスタートアップが、その裏に数多く存在した可能性も忘れてはならない。

しかし、この研究が投げかける本質的な問いは、国や地域を越えて普遍的な重要性を持つ。「リスクマネーの供給における地理的な偏りは、いかにして地域間のイノベーション格差を生み出し、それを固定化させてしまうのか」。この問いに、私たちは真剣に向き合う必要がある。

その「本社、東京」という選択は、本当に自由意志か?

では、完璧な答えがないとわかった上で、私たちはこの複雑な問題とどう向き合えばよいのだろうか。

ここまでの話から見えてくるのは、スタートアップの地理的集積という現象が、単なる自然発生的な市場原理の結果ではなく、VCという金融仲介システムの構造によって、ある意味で「運命づけられている」という、揺るぎない事実だ。重要なのは、この構造的な問題を個々の起業家の努力や、地方自治体の補助金といった対症療法で解決しようとすることではなく、リスクマネーが全国に還流するための「金融インフラ」そのものを再設計するという、新しい視点を持つことなのかもしれない。

まず、私たちは、地方のスタートアップが直面する資金調達の困難を、「情報不足」や「目利きの不在」といった言葉で片付けていないだろうか。その背後には、VCの投資行動を規定する、より根深い地理的・構造的な制約が存在するのではないか。

次に、地方の金融機関や事業会社が、地元のスタートアップエコシステムにおいて、どのような役割を果たしうるだろうか。彼らが、VCファンドへのLP投資を通じて、あるいは直接投資を通じて、地域のリスクマネー供給の担い手となることはできないだろうか。

そして、政策立案者は、スタートアップへの直接的な補助金だけでなく、地方のVCを育成し、LP投資を促進するような、より間接的で、市場メカニズムを活かした政策をデザインすることはできないだろうか。

もちろん、これらの論点にすぐさま答えが出るわけではない。しかし、こうした視点を持って対話を始めること自体が、これまで「仕方がない」と諦められてきた地域間のイノベーション格差という問題に光を当て、より多様で、強靭な経済を築くための、重要な第一歩となるだろう。

地域のエコシステムを診断するための対話リスト

この記事で得た視点を、日々の意思決定の場で実践するために、以下のような論点を定期的に自問し、地域のエコシステム関係者(起業家、投資家、金融機関、自治体、大学など)と対話する習慣を取り入れてみてはどうだろうか。

  • 資金供給網の可視化: 私たちの地域において、スタートアップへのリスクマネーは、誰が(どのようなLPが)、どのような経路で(どのようなVCを通じて)供給されているか?その供給網に、特定のプレイヤーへの過度な依存や、ボトルネックは存在しないか?

  • 地理的摩擦の分析: 地元のVCは、遠隔地のスタートアップに投資しているか?逆に、遠隔地のVCは、地元のスタートアップに投資しているか?もしそうでなければ、その障壁は何か?(情報の非対称性、モニタリングコストなど)

  • LPの多様性: 地元のVCファンドのLPは、多様なプレイヤー(年金基金、金融機関、事業会社、個人富裕層など)で構成されているか?特定のLPへの依存度が高すぎないか?

  • 「移転」の背景分析: 最近、私たちの地域からVCハブへと移転したスタートアップはいるか?その移転の最大の理由は何だったのか?資金調達の困難が、その一因ではなかったか?

  • 政策の有効性評価: 現在のスタートアップ支援策は、本当に起業家が直面している資金調達の課題を解決するのに役立っているか?より効果的な政策(例:LP投資へのインセンティブ付与、地方VCの育成支援など)は考えられないか?

#️⃣【タグ】
ベンチャーキャピタル, スタートアップ, 地理的集積, 資金調達, ボルカー・ルール

📖【書誌情報】
Chen, J., & Ewens, M. (2025). Venture capital and startup agglomeration. The Journal of Finance, 80, 2153-2198.