人工知能(AI)は、私たちの働き方を劇的に変えつつある。退屈な定型業務から解放され、より創造的で付加価値の高い仕事に集中できる――。そんなバラ色の未来が、多くのメディアやコンサルタントによって語られている。企業はこぞってAIツールを導入し、従業員にその活用を奨励する。AIを使いこなし、高い生産性を上げる従業員は、「デキる社員」として賞賛されるはずだった。
しかし、もしその「正しさ」が、職場の人間関係に、静かだが深刻な亀裂を生んでいるとしたら?もし、AIを駆使して効率的に仕事をこなすあなたの姿が、隣の席の同僚には「ズルをしている」と映り、彼らの協力意欲を削いでいるとしたら?
この根深く、複雑な課題に、私たちはどう向き合えばよいのだろうか。
なぜ、あなたの「効率化」は、チームの「非効率」を招くのか?
近年、多くの企業が従業員の生産性向上を目的として、生成AIをはじめとするAIツールの導入を進めている。例えば、パナソニック コネクトは、全社員を対象に生成AIアシスタント「ConnectAI」を導入し、資料作成や議事録作成といった業務の効率化を推進している。
こうしたマクロな動きは、私たちの現場にどのような示唆を与えるのだろうか。IT企業で働く佐藤さんも、会社が導入したAIツールを積極的に活用し、めざましい成果を上げていた。これまで数日かかっていたレポート作成は数時間に短縮され、佐藤は次々と新しい企画を立案し、上司からの評価も高い。しかし、最近、佐藤はチーム内で孤立しているように感じていた。
以前は気軽に相談に乗ってくれた同僚たちが、どこかよそよそしい。「佐藤さんはAIがあるから楽でいいね」。そんな棘のある言葉を、偶然耳にしてしまったこともある。先日、佐藤が困っているときに、ある同僚に助けを求めたが、「自分で考えれば?」と冷たくあしらわれてしまった。
「私はただ、効率的に仕事を進めたいだけなのに…」。佐藤は、自分の行動がなぜ同僚たちの反感を買うのか、理解できずにいた。
このような課題が多くの企業で他人事ではないのは、私たちが「AIの活用」という行為を、個人の生産性という「閉じた系」の中でしか捉えていないからだ。しかし、職場は個人の集合体であると同時に、相互の協力関係によって成り立つ「開かれた系」でもある。ある個人の行動が、他のメンバーの感情や認識にどのような影響を与えるのか。この「人間関係のダイナミクス」という視点を欠いたとき、個人の効率化は、皮肉にもチーム全体の非効率を招いてしまうのである。
複雑な課題を構造的に捉えるための「思考の道具」
佐藤さんが直面したようなジレンマを、単なる個人のコミュニケーション能力の問題として片付けるのではなく、構造的に分析するための思考の道具をいくつか紹介する。
他者の行動を「解釈」する心の働き
私たちは、他者の行動を観察したとき、その背後にある意図や動機を無意識のうちに推測し、意味づけを行っている。この心の働きは、心理学で「帰属理論(Attribution Theory)」と呼ばれている。同僚がAIを使っているのを見たとき、私たちは「彼は効率化のために努力している」と解釈することもできれば、「彼は楽をしようとズルをしている」と解釈することもできる。この「解釈」の違いが、その後の人間関係を大きく左右する。
「楽をしたい」というネガティブな解釈
同僚のAI活用を、「仕事をサボるため、楽をするためだ」とネガティブに解釈することを、本稿では「怠惰帰属(Slack Attribution)」と呼ぶ。AIが人間の知的労働を代替できるという特性を持つからこそ、このような「ズルをしている」という解釈が生まれやすい。
「あの人はズルい」が「助けたくない」に変わるまで
「怠惰帰属」は、AIを使う同僚に対する道徳的な評価(Perceived Morality)を低下させる。なぜなら、その行動が「努力を尊ぶ」という職場の倫理規範や、「公平性」の原則に反しているように見えるからだ。「ズルい」と感じる相手に対して、私たちは協力したいとは思わない。その結果、手助けや情報共有といった「援助行動(Helping Behavior)」が減少し、チーム全体のパフォーマンスが低下する。
「デキる社員」が孤立する時:AI活用が暴く、職場の不都合な真実
この問いに対し、Zhouらの研究チームが人事管理のトップジャーナルであるHuman Resource Managementで2025年に発表した論文は、AI時代の職場における人間関係の「ダークサイド」に光を当てる、画期的なものである。この研究は、2つの実験研究、1つのフィールド調査、そして1つのフィールド実験という多角的なアプローチを通じて、従業員のAI活用が、同僚の認識や行動にどのような影響を与えるのかを実証的に解明した。
この研究が私たちに見せてくれるのは、AIの活用という一見ポジティブな行動が、同僚の「解釈」次第で、いかにネガティブな結果を引き起こしうるかという、職場の不都合な真実だ。
1. AI活用は、同僚からの「道徳的評価」を低下させる可能性がある
研究が明らかにした核心的な事実は、同僚が従業員のAI活用を「楽をしようとしている(怠惰帰属)」と解釈した場合、その従業員に対する「道徳的な評価」が著しく低下するということだ。
この発見が示唆するのは、AIの活用が、単なるスキルや能力の問題ではなく、「倫理」や「公平性」の問題として、同僚の目に映る可能性があるという点だ。AIを使って短時間で成果を出す同僚の姿は、「努力して成果を出すべき」という伝統的な労働倫理や、自分と同じインプット(時間・労力)でより大きなアウトプットを得ているという「不公平感」を刺激し、道徳的な非難の対象となりうるのだ。
2. 「道徳的に低い」と見なされた社員は、助けてもらえなくなる
そして、この低下した道徳的評価は、具体的な行動の変化に繋がる。研究では、道徳的に低いと評価された従業員に対して、同僚たちが手助けや協力をする「援助行動」が有意に減少することが示された。
これは、職場における協力関係が、単なるギブアンドテイクの合理的な計算だけでなく、「この人は信頼できる、道徳的な人物か」という、より感情的・倫理的な判断に基づいていることを浮き彫りにする。AIを活用する従業員が「ズルい奴」というレッテルを貼られてしまえば、彼らはチームからの協力を得られなくなり、結果として孤立していく。
3. 重要なのは「AIを使うか」ではなく、「どう解釈されるか」
この研究の最も重要な貢献は、AI活用の影響が、その行為自体によって決まるのではなく、周囲の人間による「解釈(帰属)」によって大きく左右されることを明らかにした点にある。
同僚がAI活用を「怠惰」だと解釈すれば、ネガティブな連鎖が始まる。しかし、もしそれを「より高い品質を目指すための、賢明な手段だ」と解釈すれば、道徳的な評価は低下せず、協力関係も損なわれない。つまり、問題の根源はAIそのものではなく、その活用をめぐる「意味づけ」の戦いにあるのだ。
この「解釈の戦い」に、終わりはあるのか?
もちろん、どのような優れた研究も、それ一つで全てを語ることはできない。Zhouらの研究は、AIが職場に導入され始めた初期段階における、人間関係の摩擦を捉えたものである。将来的には、AIの活用が当たり前になれば、「怠惰帰属」のようなネガティブな解釈は、自然と減少していくかもしれない。
また、この研究は主に中国と米国の職場を対象としており、集団主義や労働倫理に関する価値観が異なる日本の職場に、この結果をそのまま当てはめることには慎重さが必要だろう。
しかし、この研究が投げかける本質的な問いは、文化や時代を越えて普遍的な重要性を持つ。「新しいテクノロジーの導入が、既存の社会規範や公平感をどのように揺さぶり、人間関係にどのような影響を与えるのか」。この問いに、私たちは真剣に向き合う必要がある。
「個人の成果」から「チームの心理」へ:AI時代のマネジメント革命
では、完璧な答えがないとわかった上で、私たちはこの複雑な問題とどう向き合えばよいのだろうか。
ここまでの話から見えてくるのは、AI時代のマネジメントの焦点が、もはや個々の従業員の「生産性管理」だけではなく、チーム全体の「認識管理(Perception Management)」へとシフトしていくという、揺るぎない事実だ。重要なのは、AIの利用を禁止したり、あるいは無条件に奨励したりすることではない。AIの活用が、チームメンバーからどのように「解釈」されるかを予見し、それがポジティブなものとなるよう、積極的に働きかけていくという、新しいリーダーシップの役割が求められている。
最初のステップ:あなたのチームの「見えざる空気」を診断する
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私たちのチームでは、AIの活用について、オープンに話し合う機会があるだろうか。それとも、それは個人の裁量に任され、タブー視されているだろうか。
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チームメンバーは、AIを活用する同僚に対して、どのような感情(尊敬、嫉妬、不信感など)を抱いているように見えるか。
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チームの評価制度は、個人の成果(アウトプット)のみを重視し、そのプロセス(努力や工夫)を軽視していないだろうか。
次のステップ:チームで「AI活用の共通言語」を創る
個人の内省から得た気づきは、チームの対話を通じて初めて、組織の力へと昇華する。以下の論点を、次のチームミーティングのテーブルに乗せてみてはどうだろうか。
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「怠惰帰属」を防ぐための透明性の確保: AIを活用する際には、その目的(例:定型業務を効率化し、より創造的な業務に時間を使うため)や、AIのアウトプットに対してどのような付加価値を加えたのかを、チーム内で共有するルールを作ることはできないか。
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「公平感」を醸成するための評価基準の見直し: 評価の焦点を、単なる成果の量やスピードから、「AIをいかに賢く活用し、チーム全体の成果に貢献したか」という質的な側面へとシフトさせることはできないか。
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「協力」を促進するための共通目標の設定: AIの活用を、個人の生産性向上という目標だけでなく、「チーム全体の知識やノウハウを蓄積・共有するための手段」として位置づけ、共同でAIを活用するプロジェクトを立ち上げることはできないか。
#️⃣【タグ】
人工知能(AI), チームワーク, 人間関係, 帰属理論, 人事管理
📖【書誌情報】
Zhou, X., Chen, C., Li, W., Yao, Y., Cai, F., Xu, J., & Qin, X. (2025). How do coworkers interpret employee AI usage: Coworkers’ perceived morality and helping as responses to employee AI usage. Human Resource Management, 64, 1077-1097.