好きなブランドより、好きな商品が選ばれる

あなたは、ナイキのショートパンツと、ニューバランスのTシャツ、どちらか一つだけ買うとしたら、どう選ぶだろうか。もし、あなたがナイキという「ブランド」は好きだが、目の前にあるショートパンツのデザインはあまり気に入らない。一方で、ニューバランスというブランドにはそれほど惹かれないが、Tシャツのデザインはとても気に入っているとしたら。

この、「好きなブランド」と「好きな商品」が一致しない状況で、私たちの心の中では、一体どのような葛藤が繰り広げられているのだろうか。そして、その葛藤の末に下される最終的な決断は、何によって左右されるのだろうか。もし、その答えが、私たちが情報を「見る順番」という、ごく些細な要因にあるとしたら?

この根深く、複雑な課題に、私たちはどう向き合えばよいのだろうか。

なぜ、あなたの会社の「こだわり」は、顧客に届かないのか?

多くの企業が、自社の製品の「機能的な価値」を高めることに、多大なリソースを投じている。より高性能なエンジン、より美しいデザイン、より便利な機能――。しかし、そうした「モノとしての魅力」が、必ずしも消費者の購買に結びつくとは限らない。むしろ、多くの消費者は、製品そのものの良し悪しよりも、「どのブランドか」という、より抽象的な価値に基づいて、商品を選んでいるようにさえ見える。

例えば、あるアパレルメーカーは、最高の素材と縫製技術を駆使して、完璧なシャツを作り上げた。しかし、そのシャツは、ほとんど無名のブランドだったため、消費者の注目を集めることはなかった。一方で、デザインや品質はそこそこでも、強力なブランドイメージを持つ競合他社のシャツは、飛ぶように売れていく。

「なぜ、これほどまでにこだわって作った製品の価値が、顧客に伝わらないのか」。そのメーカーの企画担当者である佐藤さんは、途方に暮れていた。

このような課題が多くの企業で他人事ではないのは、消費者の意思決定が、単一の合理的な評価軸に基づいて行われるわけではないからだ。製品の「機能的価値」と、ブランドの「象徴的価値」。この二つの異なる価値が、消費者の心の中で複雑な綱引きを繰り広げ、その力関係が、最終的な購買行動を決定づける。この「心の中の綱引き」のメカニズムを理解しない限り、私たちのマーケティング戦略は、的外れなものになってしまう。

複雑な課題を構造的に捉えるための「思考の道具」

佐藤さんが直面したようなジレンマを、単なるブランド力の差として片付けるのではなく、構造的に分析するための思考の道具をいくつか紹介する。

意思決定の「リアルタイム観測」としてのカーソル追跡
消費者が、コンピュータの画面上で、どちらかの商品を選択するためにマウスカーソルを動かすとき、その「軌跡」は、彼らの心の中の迷いや葛藤を、リアルタイムで映し出す鏡となる。この「カーソル追跡(Cursor Tracking)」という手法を用いることで、これまでブラックボックスだった意思決定のプロセスを、客観的なデータとして可視化することができる。

情報処理の「順番」が、選択を左右する
人間が複数の属性(例えば、製品とブランド)を評価する際、それらの情報を「同時に」処理しているわけではない。ある属性に注意を向け、次に別の属性に注意を向けるという、「逐次的な」情報処理を行っている。そして、この「処理の順番」が、それぞれの属性が最終的な意思決定に与える「重み」を、大きく左右することが知られている。

「ブランド」と「製品」の綱引き
カーソル追跡によって、消費者が「ブランド情報」と「製品情報」のどちらに、より早く注意を向け始めたか(考慮時間、Consideration Time)を測定することができる。もし、ブランド情報が製品情報よりも早く処理されれば、ブランドの価値がより重視され、逆に、製品情報が早く処理されれば、製品の価値がより重視される、という仮説が立てられる。

マウスの軌跡は、心の軌跡

この問いに対し、Fisher and Woolley (2024)がマーケティング分野のトップジャーナルであるJournal of Marketing Researchで発表した論文は、「カーソル追跡」という革新的な手法を用いて、この問題の核心に迫った。この研究は、被験者が「好きなブランドの、あまり好きではない商品」と「あまり好きではないブランドの、好きな商品」との間で選択を行う際の、マウスカーソルの動きを精密に分析することで、意思決定の背後にある心理的なメカニズムを解き明かしたものである。

この研究が私たちに見せてくれるのは、私たちの選択が、いかに「情報を処理する順番」という、無意識のプロセスに支配されているかという、驚くべき光景だ。

1. 私たちは、まず「モノ」を見て、次に「ブランド」を見る

まず、研究が明らかにしたのは、平均的に、消費者は「製品そのものの魅力」を、「ブランド名」よりも、わずかに(約160ミリ秒)早く処理し始めるという事実だ。私たちの目は、まず具体的な「モノ」の価値を評価し、その後に、より抽象的な「ブランド」の価値を評価する傾向がある。

この発見は、製品の第一印象、特にその「見た目」の重要性を、改めて浮き彫りにする。

2. 「見る順番」が早いほど、その価値は重くなる

そして、この研究の最も重要な発見は、この「処理の順番」が、最終的な選択を強力に予測するということだ。

ある消費者において、もし「ブランド情報」が「製品情報」よりも早く処理された場合、その消費者は、たとえ製品自体の魅力が劣っていても、「好きなブランド」の商品を選ぶ確率が、有意に高まることがわかった。逆に、製品情報が早く処理されれば、「好きな商品」が選ばれる確率が高まる。

これは、先に処理された情報が、その後の意思決定プロセス全体において、より大きな「重み」を持つようになることを示唆している。私たちの心は、最初に入ってきた情報に「アンカリング」され、その後の判断を歪めてしまうのだ。

3. 「見せ方」を変えれば、「見る順番」は変わり、そして「選択」も変わる

では、この「処理の順番」を、意図的に操作することは可能なのだろうか。研究チームは、画面上でのブランド情報の「表示位置」を変えるという、シンプルな実験を行った。

その結果、驚くべきことに、ブランド名を、製品画像の上部という、より「目立つ」位置に表示しただけで、消費者はブランド情報をより早く処理し始め、結果として、「好きなブランド」の商品を選ぶ確率が、有意に高まることが確認された。

この発見は、マーケターにとって、極めて強力な示唆を与える。製品の価値を変えることなく、単にその「見せ方」を工夫するだけで、消費者の選択を、自社に有利な方向へと導くことが可能なのである。

この「心のハッキング」は、どこまで許されるのか?

もちろん、どのような優れた研究も、それ一つで全てを語ることはできない。Fisher and Woolleyの研究は、主に実験室という管理された環境で行われたものであり、より複雑でノイズの多い、現実の購買環境において、この効果がどの程度の大きさで現れるかは、さらなる検証が必要だろう。

また、この研究は、マーケターが消費者の無意識のプロセスに介入し、その選択を「操作」できる可能性を示した。この「心のハッキング」とも言える手法は、その有効性の高さゆえに、深刻な倫理的な問いを、私たちに投げかける。

しかし、この研究が投げかける本質的な問いは、実験の限界や倫理的な問題を越えて、私たちに重くのしかかる。「私たちは、自社の製品やブランドの価値を、顧客の『心の中の綱引き』という観点から、どれだけ深く理解しているだろうか。そして、その綱引きに、どのような影響を与えようとしているのだろうか」。この問いに、私たちは真剣に向き合う必要がある。

「何を伝えるか」から「どの順番で伝えるか」へ

では、完璧な答えがないとわかった上で、私たちはこの複雑な問題とどう向き合えばよいのだろうか。

ここまでの話から見えてくるのは、マーケティング・コミュニケーションの核心が、もはや「何を伝えるか」というコンテンツのレベルだけでなく、「どの情報を、どの順番で、どのように見せるか」という、情報提示のアーキテクチャ設計にあるという、揺り動かしがたい事実だ。重要なのは、製品の魅力を一方的に語ることではない。顧客の「情報処理のプロセス」をデザインし、彼らが自社の製品の価値を、最も好意的に解釈してくれるような「心の導線」を、いかにして築くかという、新しい視点を持つことなのかもしれない。

最初のステップ:あなたの会社の「顧客の心の綱引き」を可視化する

  • 私たちの顧客は、購買を決定する際に、「製品の機能」と「ブランドの信頼性」のどちらを、より重視しているだろうか。

  • 私たちのウェブサイトや広告は、顧客が最初に目にする情報として、何を提示しているだろうか。それは、私たちが最も伝えたい価値と、一致しているだろうか。

  • 競合他社は、情報提示の順番において、どのような戦略を取っているだろうか。

次のステップ:チームで「最適な心の導線」を設計する

個人の内省から得た気づきは、チームの対話を通じて初めて、組織の力へと昇華する。以下の論点を、次のマーケティング戦略会議のテーブルに乗せてみてはどうだろうか。

  • ウェブサイトのA/Bテスト: 製品情報とブランド情報を、ページの異なる位置に表示するA/Bテストを行い、どちらがより高いコンバージョン率に繋がるかを、データに基づいて検証できないだろうか。

  • 広告コピーの順番: 広告のキャッチコピーにおいて、「驚きの機能性!」という製品主導のメッセージと、「あの〇〇から、ついに登場。」というブランド主導のメッセージとでは、どちらがより高いクリック率を生むだろうか。

  • 価格提示のタイミング: 価格という、ネガティブな情報を提示する最適なタイミングはいつだろうか。製品とブランドの価値を十分に伝えた後で提示する方が、価格への抵抗感を和らげることができるのではないか。

#️⃣【タグ】
消費者行動, 意思決定プロセス, カーソル追跡, ブランド戦略, 情報処理

📖【書誌情報】
Fisher, G., & Woolley, K. (2024). How consumers resolve conflict over branded products: Evidence from mouse cursor trajectories. Journal of Marketing Research, 61(1), 165–184.