なぜ、同じ「情熱」を示しても男女で評価は分かれるのか?

「仕事への情熱」。それは現代のビジネスシーンにおいて、リーダーが備えるべき最も重要な資質の一つだと考えられている。しかし、もしその「情熱」という、一見ポジティブな評価基準そのものが、組織内の男女格差を助長する温床になっているとしたらどうだろうか。なぜ、同じように情熱的に仕事に取り組んでいても、女性は「感情的だ」と見なされ、男性は「将来性がある」と評価される傾向があるのか。この、多くの人が心のどこかで感じているであろう不条理な評価のズレは、一体どこから生まれるのだろうか。この根深く、複雑な課題に、私たちはどう向き合えばよいのだろうか。

なぜ、良かれと思って見せた「情熱」は、女性の評価を下げてしまうのか?

人事部長の田中は、次世代リーダー候補を選抜するタレントレビューの席で頭を悩ませていた。候補者の一人、鈴木(女性)は、担当プロジェクトについて目を輝かせ、熱意あふれる言葉で語る。その姿は、まさしく「情熱」の塊だ。一方で、もう一人の候補者である佐藤(男性)もまた、静かながらも力強い口調で、自身の仕事へのこだわりを表現している。二人とも甲乙つけがたい。しかし、田中の心には一抹の懸念がよぎる。「鈴木さんの情熱は素晴らしいが、時に感情の起伏が激しいのではないか。リーダーとしては冷静さに欠けるかもしれない。その点、佐藤くんの情熱は、将来の成長に向けた強い意志の表れに見える」。田中は、自身の評価に潜む無意識のバイアスに気づかないまま、決断を下そうとしていた。

田中のような葛藤は、決して例外的なものではない。多くの組織では、「情熱」がリーダーシップの源泉として奨励される一方で、その表現方法は極めて曖昧なまま、評価者の主観に委ねられている。この曖昧さこそが、社会に根深く存在する「女性は感情的、男性は理性的」といったジェンダー・ステレオタイプを呼び覚まし、評価プロセスを歪める土壌となっている。良かれと思って奨励した「情熱」が、意図せずして女性のキャリアを阻害し、男性に不相応なアドバンテージを与えるという、皮肉な現実を生み出しているのかもしれない。

キーコンセプト解説

この複雑な問題を、単なる個人の資質や感情論で終わらせず、構造的に分析するための「思考の道具(レンズ)」を二つ紹介したい。

感情表現のダブルスタンダード
同じ行動でも、性別によって社会的に期待される役割が異なるため、評価が大きく変わってしまう現象がある。特に、女性が怒りや情熱といった強い感情を表に出すと、伝統的な「女性らしさ」から逸脱したと見なされ、否定的な評価を受けやすくなる。このような現象は、心理学や経営学の世界では「バックラッシュ効果」と呼ばれており、女性リーダーが直面する見えざる障壁の一つとされている。

評価基準の無意識な使い分け
私たちは物事を評価する際、常に同じ物差しを使っているわけではない。評価対象の属性(例えば性別)によって、無意識のうちに期待する基準やレベルを変動させてしまうことがある。例えば、「女性は元来、勤勉である」というステレオタイプがあると、女性が勤勉なのは「当たり前」と見なされる一方、男性が少し勤勉さを見せただけで「期待以上だ」と高く評価されがちだ。このような、評価基準そのものが無意識に動いてしまう現象は、社会心理学で「シフティング・スタンダード・モデル(基準移動モデル)」と呼ばれている。

なぜ、情熱は女性を罰し、男性を利するのか?――データが暴く評価バイアスの二重構造

この根源的な問いに対し、ある研究が、二つの異なるアプローチから驚くべき事実を明らかにしている。一つは、あるグローバルなエンジニアリング企業で実際に行われたタレントレビューのデータ(796名分)の分析。もう一つは、管理職経験のある1,366名を対象に、俳優が演じる候補者の動画を見せて評価させる、精緻に設計された比較実験である。

女性に科される「不適切」というペナルティ

この研究が私たちに見せてくれる第一の光景は、情熱を表現すること自体が、女性にとってペナルティになりうるという厳しい現実だ。比較実験において、俳優が全く同じ脚本、同じ熱量で情熱を表現したにもかかわらず、女性候補者(エリカ)の感情表現は、男性候補者(スコット)に比べて「この場に不適切だ」と評価される傾向が有意に高かった。その結果、彼女がハイポテンシャル人材に選抜される確率は低くなっていた。

この結果が浮き彫りにするのは、私たちがリーダーに求める「冷静さ」や「客観性」という資質と、女性に対する「過度に感情的であってはならない」という無意識の社会的期待との間に存在する深刻な衝突である。情熱を持つことは奨励される一方で、その情熱を感情豊かに表現することは、女性であるがゆえに「不適切」のレッテルを貼られ、評価を下げるリスクを伴う。これは、女性リーダーが日々直面している、矛盾した期待、すなわち「情熱のダブルバインド」の存在を明確に示唆している。

「並の優秀さ」の男性に与えられる「勤勉」というアドバンテージ

研究が明らかにした第二の光景は、さらに巧妙で、根深いバイアスの存在だ。それは、情熱の表現が、男性(特に「並外れて優秀」というわけではないが「優秀」な層)にだけ、特別なアドバンテージを与えるという事実である。比較実験では、優秀な男性候補者(スコット)が情熱を表現した場合、評価者は彼の「将来の勤勉さ」をより高く推測し、その結果、彼をハイポテンシャル人材に選抜する確率が有意に高まった。驚くべきことに、この「情熱→勤勉さの推測→高評価」という好循環は、同じレベルの女性候補者や、男女を問わず「並外れて優秀」な候補者には見られなかった。

この発見は、私たちの思考の前提を根底から揺さぶる。なぜ、男性だけにこのようなアドバンテージが生じるのか。研究者たちは、その背景に「女性は元々勤勉、男性は才能で勝負する」という社会に浸透したステレオタイプの存在を指摘する。つまり、女性が勤勉なのは「当たり前」と見なされるため、彼女たちが情熱を見せても評価は上がらない。一方で、勤勉さがさほど期待されていない男性が情熱を見せると、評価者は「彼は本来の才能に加え、期待以上の努力もするだろう」とポジティブな未来を勝手に推測し、評価に「下駄を履かせる」のだ。これは、評価が「現在のパフォーマンス」という客観的な領域から、「将来性」という主観的な領域に移った瞬間に、ジェンダーバイアスがいかに強力に作用するかを冷徹に示している。

情熱の評価は、誰の常識に基づいているか?

これまでの議論から見えてくるのは、ハイポテンシャル人材の選抜における男女格差の問題が、候補者個人の能力差や意欲の問題では全くなく、むしろ「情熱」という曖昧な評価基準の解釈に潜む、評価者側の構造的なバイアスに深く根差しているという事実だ。問題は、評価される側ではなく、評価する側の「物差し」そのものにある。

この課題を乗り越えるには、「情熱は善である」という単純な思考停止から脱却し、その評価プロセスに潜む無意識の罠を自覚する必要がある。その上で、自社のリーダーシップチームに、以下のような新しい問いを投げかけてみてはどうだろうか。

  • 私たちの組織では、「情熱」を評価する際に、具体的にどのような行動や態度を観察しているだろうか? その観察項目リストは、男女で異なる社会的期待(女性には冷静さを、男性には才能を)を無意識に反映してしまってはいないか?

  • ある候補者を「情熱的で将来性がある」と評価したとき、その「将来性」の根拠は何か? それは客観的な事実に基づいているか、それとも「男性だから伸びるだろう」という、ステレオタイプによる無意識の「期待」に過ぎないのではないか?

  • 感情的な表現の豊かさ以外で、候補者の仕事への深いコミットメントや意欲を測るための、より客観的で行動ベースの評価基準を設けることはできないだろうか? 例えば、「困難な課題に対して、どれだけ粘り強く代替案を模索したか」といった具体的な行動を評価のテーブルに乗せることは可能か?

参考文献

He, J. C., Jachimowicz, J. M., & Moore, C. (2025). Passion penalizes women and advantages (unexceptional) men in high-potential designations. Organization Science, 36, 1438–1465.