「じっくり考えてから動く」か、「まず動いてから考える」か?

オ⁠ーデ⁠ィオ ブロ⁠ック
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新規事業やプロジェクトを立ち上げる際、私たちは常に一つのジレンマに直面する。「完璧な計画を練るまで動くべきではない」という声と、「計画ばかりでは何も始まらない、まず行動せよ」という声。この二つの正論の間で、私たちはどうバランスを取ればよいのか。スピードが重視される現代において、「まず動く」ことの魅力は大きい。しかし、その行動は本当に成果へと繋がっているのだろうか。この根深く、複雑な課題に、私たちはどう向き合えばよいのだろうか。

「とりあえずやってみる」という、見えざる罠

新規事業開発を任されたリーダーの田中は、チームに「リーン・スタートアップ」のアプローチを導入した。「完璧な計画よりも、まず顧客の声を聞こう。早く失敗して、早く学ぼう」と、彼はチームを鼓舞し、次々とプロトタイプを市場に投入し、顧客インタビューを重ねた。しかし、数ヶ月経っても、事業は一向に軌道に乗らない。個々の実験からは細かな学びは得られるものの、それが事業全体の大きな成長に繋がっていかないのだ。「私たちは行動しているはずなのに、なぜ前に進めないんだ?」田中は焦りと共に、根本的な問いに突き当たっていた。

田中のような状況は、多くの企業で起こりうる。近年のビジネス界では、「リーン・スタートアップ」に代表されるように、迅速な仮説検証と市場投入が称賛される傾向にある。しかし、その実践において、「行動すること」自体が目的化してしまい、一つ一つの実験から得られる断片的な情報をつなぎ合わせ、事業全体の戦略へと昇華させる視点が欠落してしまうことがある。この「木を見て森を見ず」の状態こそが、良かれと思って採用したアプローチが成果に結びつかない、「見えざる罠」の正体なのかもしれない。

キーコンセプト解説

こうした複雑な問題を感情論で終わらせず、構造的に分析するための「思考の道具(レンズ)」を紹介したい。

まず証拠を集めるアプローチ
「百聞は一見に如かず」という考え方に基づき、起業家が持つビジネスアイデアの仮説を、顧客インタビューや最小限の機能を持つ製品(MVP)を通じて、素早く検証することに重点を置く。このアプローチは、ビジネスモデルを構成する個々の要素(顧客は誰か、提供価値は何か、など)を一つずつテストし、得られた証拠に基づいて素早く方向転換(ピボット)することを推奨する。このような手法は、経営学の世界では「リーン・スタートアップ」に代表される実証主義的アプローチと呼ばれ、不確実性の高い環境でリソースを無駄にしないための有効な方法とされている。

「なぜ」から始める価値創造の設計図
一方で、個別の仮説検証に入る前に、まず「なぜ、この事業は価値を生み出すのか?」という根本的な論理(ロジック)を、一つの首尾一貫したストーリーとして構築することを重視する考え方もある。このアプローチでは、事業アイデアの根幹にある信念や因果関係を明確にし、それに基づいて検証すべき仮説を体系的に導き出す。このような考え方は「科学的アプローチ」とも呼ばれ、その核となるのが「価値創造の理論(Theory-of-Value)」という概念だ。これは、単なる思いつきではなく、事業全体の成功を支える設計図として機能する。

なぜ、同じ「ピボット」でも成果に大差がつくのか?

この問いに対し、タンザニアの農業関連の起業家151名を対象に行われた、あるランダム化比較試験が、示唆に富むデータを提供している。この研究では、起業家たちをランダムに二つのグループに分け、一方には「証拠(エビデンス)ベースのアプローチ(リーン・スタートアップ)」を、もう一方には「理論と証拠(セオリー&エビデンス)ベースのアプローチ(科学的アプローチ)」を、それぞれ3ヶ月間にわたってトレーニングした。そして、その後の1年間のパフォーマンスと意思決定の変化を追跡調査した。

「なぜ」の理論を持つと、収益性が高まる

この研究が示す最も重要な発見は、パフォーマンスにおける明確な差である。訓練終了後の観察期間において、「なぜ」の理論を構築したグループは、証拠収集のみを学んだグループに比べて、収益・利益ともに統計的に有意に高い成果を上げていた。一方で、事業を断念する確率(撤退率)については、両グループに有意な差は見られなかった。

この結果が浮き彫りにするのは、「まず動く」ことのスピード感と、「じっくり考える」ことの質の深さという、二つの価値の対比である。どちらのアプローチも、見込みのないアイデアを早期に見抜く点では同等に有効だった。しかし、有望なアイデアの価値を最大限に引き出し、実際の経済的成果に結びつける上では、「なぜ」という事業の根幹を支える理論を持つことが決定的な差を生んだのだ。これは、闇雲な実験の繰り返しよりも、明確な羅針盤に基づいた航海の方が、目的地にたどり着きやすいという可能性を示唆している。

成果を生むピボットは「統合的」である

なぜ、このような差が生まれたのか?研究者たちが注目したのは、両グループが事業に加えた「変更(ピボット)」の質の違いだ。「なぜ」の理論を学んだグループは、事業の根幹に関わる「コア要素(例:提供価値、顧客セグメント)」の変更と、実行手段に関わる「オペレーション要素(例:販路、価格設定)」の変更を、連動させて行う傾向が強かった。対照的に、証拠収集のみのグループは、コアかオペレーションのどちらか一方だけを変更する、部分的な修正に留まることが多かった。

これは、事業をバラバラの部品の寄せ集めとしてではなく、一つの統合されたシステムとして捉える視点の重要性を示唆している。「なぜ」という理論を持つことで、一つの変更が他の部分にどう影響するかという連鎖を予測し、より一貫性のある、効果的な事業変革を実行できるのかもしれない。場当たり的なピボットは、かえって事業モデル全体の整合性を崩し、パフォーマンスを損なうリスクすらあるのだ。この発見は、ピボットの「回数」ではなく「質」こそが重要であるという、私たちの思考の前提を問い直す。

明日からの「問い」をどう変えるか

冒頭の「計画か、行動か」という二項対立に立ち返ってみよう。これまでの議論を踏まえると、この問題はどちらか一方を選ぶことではなく、行動の「前」と「中」で、思考の質をいかに高めるかという、より高次元の課題であることがわかる。素早い行動は依然として重要だが、その行動を真の成果に繋げるためには、行動の基盤となる「なぜ」という問いを深く掘り下げるプロセスが不可欠なのだ。

この学びを、明日からの自身の事業やプロジェクトに活かすために、私たちは自問すべき「問い」をアップグレードする必要がある。

  • 私たちのチームが行う「ピボット」は、場当たり的な修正に終わっていないだろうか? その変更が、事業モデルの他の部分とどう連動するのか、その因果関係を議論しているか?

  • 私たちは顧客への提供価値を説明する際、「何ができるか(What)」だけでなく、「それはなぜ価値があるのか(Why)」という根本的なストーリーを、明確に語ることができるだろうか?

  • 「早く失敗しろ」という号令のもと、私たちは「深く学ぶ」という、より重要な機会を見失ってはいないだろうか? 次の実験を始める前に、一度立ち止まり、事業全体の「価値創造の理論」を再構築する時間を設けることはできないか?

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参考文献
Agarwal, R., Bacco, F., Camuffo, A., Coali, A., Gambardella, A., Msangi, H., Sonka, S., Temu, A., Waized, B., & Wormald, A. (2025). Does a theory-of-value add value? evidence from a randomized control trial with Tanzanian entrepreneurs. Organization Science, 36, 601–625.