人工知能(AI)は、もはや一部の専門家だけのものではない。私たちの日常生活、そしてビジネスのあらゆる側面に、急速に浸透し始めている。企業は競争優位を築くため、AIを活用した新製品やサービスの開発に莫大な投資を行っている。その成否を分けるのは、言うまでもなく、消費者がそれらの新しいテクノロジーをどれだけ「受け入れるか」である。
では、どのような消費者が、AIを最も積極的に受け入れるのだろうか。多くのビジネスパーソンは、直感的にこう答えるだろう。「テクノロジーに詳しく、AIの仕組みをよく理解している人たちだ」と。しかし、もしその「常識」が、根本的な誤りだとしたら?もし、AIに対して最も心を開いているのが、AIについて最も知らない人たちだとしたら、私たちのマーケティング戦略、製品開発、そして社会との向き合い方は、どう変わるべきなのだろうか。
この根深く、複雑な課題に、私たちはどう向き合えばよいのだろうか。
なぜあなたのAI戦略は、最も熱心な顧客を無視するのか?
近年、NTTドコモが「ドコモgacco」を通じてAI活用に関するオンライン講座を提供するなど、企業によるAIリテラシー向上への取り組みが活発化している。これは、AI技術の社会実装を加速させる上で、消費者の理解が不可欠であるという認識の表れだろう。
こうしたマクロな動きは、私たちの現場にどのような示唆を与えるのだろうか。家電メーカーでマーケティングを担当する佐藤さんも、まさにこの「常識」に基づいて、新しいAI搭載冷蔵庫のプロモーション戦略を練っていた。彼女のチームは、ターゲット顧客を「テクノロジーへの関心が高く、情報感度の鋭い30代から40代の男性」と設定。AIが個人の食生活を学習し、最適なレシピや食材を提案するという「機能的な便益」を前面に押し出した。しかし、発売後の販売データは、予想を大きく裏切るものだった。購入者の中心は、ターゲットとは異なる、テクノロジーにそれほど詳しくない主婦層だったのである。
「なぜ、私たちのメッセージは、本来届けたかった層に響かなかったのか?そして、なぜ予想外の層が、この製品に熱狂しているのか?」。佐藤は、自らの戦略の前提が、根底から覆されたような感覚に陥っていた。
このような課題が多くの企業で他人事ではないのは、私たちが「理解」と「受容」を安易に結びつけすぎているからだ。私たちは、製品の機能や技術的な優位性を論理的に説明し、顧客に「理解」させれば、自ずと「受容”」されるはずだと信じている。しかし、特にAIのような、これまでの常識を覆すテクノロジーに対して、人々が抱く感情は、必ずしも合理的なものだけではない。この、論理と感情の間に横たわる深い溝を見過ごすとき、私たちの戦略は最も熱心な顧客を見失ってしまうのである。
複雑な課題を構造的に捉えるための「思考の道具」
佐藤さんが直面したようなジレンマを、単なるターゲティングの失敗として片付けるのではなく、構造的に分析するための思考の道具をいくつか紹介する。
テクノロジーがもたらす「魔法」の感覚
SF作家アーサー・C・クラークは、「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」という有名な法則を残した。AIが、かつては人間特有のものと考えられていた創造性や感情の理解といったタスクをこなすとき、その仕組みを理解しない人々にとって、それはまるで「魔法」のように映る。この感覚は、製品への強い魅力となり得る。
畏敬(Awe)という感情
「畏敬(Awe)」とは、自分の理解をはるかに超えた、広大で偉大な何かに遭遇したときに生じる、畏れと敬いが入り混じった感情である。AIが示す人間離れした能力は、人々にこの「畏敬」の念を抱かせ、強い心理的なインパクトを与える可能性がある。心理学では、この感情が人々の世界観を揺さぶり、新しいものを受け入れるきっかけになると考えられている。
AIリテラシーという「脱魔術化」のプロセス
一方で、「AIリテラシー」、すなわちAIに関する客観的な知識を持つことは、この「魔法」を解くプロセスでもある。AIが膨大なデータからパターンを学習するアルゴリズムによって動いていることを理解すれば、そのアウトプットは驚くべきものではあっても、「魔法」ではなくなる。この「脱魔術化」が、AIに対する感情的な魅力を減退させる可能性がある。
「無知は至福なり」――AI受容性をめぐる不都合な真実
この問いに対し、Tully, Longoni, and Appel (2025)がマーケティング分野のトップジャーナルであるJournal of Marketingで発表した研究は、私たちの「常識」を覆す、衝撃的な証拠を提示している。この研究は、複数の国にまたがる大規模なデータと、7つの一連の実験を通じて、消費者の「AIリテラシー(AIに関する客観的な知識)」と「AI受容性(AIを利用しようとする傾向)」との関係を徹底的に検証したものである。
この研究が私たちに見せてくれるのは、AIの世界においては「知る」ことが必ずしも「好む」ことに繋がらないという、逆説的で、しかし極めて重要な光景だ。
1. AIリテラシーが低い人ほど、AIをより受け入れる
研究が明らかにした最も核心的な事実は、AIに関する客観的な知識が少ない人ほど、AI搭載の製品やサービスを積極的に利用しようとする傾向が強い、ということだ。この「低リテラシー・高受容性」のリンクは、国境を越えて、また様々な製品・サービスカテゴリーで一貫して確認された。
この発見は、多くの企業が暗黙のうちに前提としてきたマーケティング戦略――すなわち、テクノロジーに詳しい「アーリーアダプター」を狙うという戦略――が、必ずしも最適ではない可能性を強く示唆している。むしろ、AI時代の真のアーリーアダプターは、テクノロジーに詳しくない、ごく普通の人々の中にいるのかもしれない。
2. その理由は、AIが「魔法」のように見えるから
なぜ、このような逆説的な現象が起きるのか。研究チームは、その心理的なメカニズムを解き明かしている。AIが、かつては人間特有の領域と考えられていたタスク(例えば、詩を書く、感情を読み取る、創造的なアイデアを出すなど)を実行するのを見たとき、AIリテラシーの低い人々は、その仕組みを理解できないがゆえに、AIがまるで人間のような知性や感情を持っているかのように感じ、それを「魔法」のように知覚する。
この「魔法」の感覚が、「畏敬(Awe)」という強い感情を引き起こし、AIへの肯定的な態度、すなわち高い受容性に繋がるのだ。一方で、AIリテラシーの高い人々は、それが高度なパターン認識と確率計算の結果であることを理解しているため、「魔法」は解かれ、畏敬の念も薄れ、より冷静で批判的な態度を取る傾向がある。
3. ただし、「人間らしい」タスクに限る
この「魔法」の効果は、万能ではない。研究では、この「低リテラシー・高受容性」のリンクが、AIが「人間らしい」と認識されるタスクを実行する場合に特に強く現れることが示された。
一方で、計算やデータ分析といった、客観的で「機械的」なタスクにおいては、この関係は弱まるか、あるいは逆転し、AIリテラシーの高い人の方がAIをより好意的に評価する傾向が見られた。この発見は、AIをマーケティングする上で、そのAIがどのようなタスクを実行するのかによって、ターゲットとメッセージを根本的に変える必要があることを示唆している。
「魔法」はいつか解ける――この発見の賞味期限を問う
もちろん、どのような優れた研究も、それ一つで全てを語ることはできない。Tullyらの研究は、AIが社会に急速に普及し始めた「今」という特定の瞬間を切り取ったものであり、この「低リテラシー・高受容性」という関係が、未来永劫続くとは限らない。
社会全体のAIリテラシーが向上すれば、AIの「魔法」は徐々に解けていくだろう。そのとき、人々はAIをより冷静に、その能力と限界に基づいて評価するようになるかもしれない。また、この研究は、AIを「魔法」としてマーケティングすることの倫理的な側面については深く言及していない。知識の少ない消費者の感情に訴えかける戦略は、一歩間違えれば、彼らを搾取したり、誤解を助長したりする危険性もはらんでいる。
結局のところ、この研究は最終的な答えではなく、むしろ「私たちは、AIという新しいテクノロジーと、どのようにして健全で持続可能な関係を築いていくべきか」という、より本質的な問いを私たちに投げかけているのかもしれない。
「啓蒙」か「活用」か――AI時代のマーケターが直面する二つの道
では、完璧な答えがないとわかった上で、私たちはこの複雑な問題とどう向き合えばよいのだろうか。
ここまでの話から見えてくるのは、AI時代のマーケティングが、単なる機能的便益の訴求ではなく、消費者がAIに対して抱く「魔法」や「畏敬」といった深い感情と、いかに向き合うかという、新たな次元に突入したという揺るぎない事実だ。重要なのは、「低リテラシー層を狙う」といった短絡的な結論に飛びつくことではない。顧客のAIリテラシーレベルに応じて、アプローチを根本的に変えるという、より洗練された戦略的思考を持つことなのかもしれない。
最初のステップ:あなたの「無意識の前提」に光を当てる
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私たちのマーケティングチームは、AI製品のターゲット顧客を、無意識のうちに「テクノロジーに詳しい人」と想定していないだろうか。
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私たちの製品メッセージは、AIの「機能」や「仕組み」を説明することに偏りすぎていないだろうか。それが生み出す「驚き」や「感動」といった感情的な価値を、十分に伝えられているだろうか。
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私たちは、顧客のAIに対する「無知」や「誤解」を、解消すべき「問題」としてのみ捉えていないだろうか。それを、製品への関心を引き出す「機会」として捉え直すことはできないか。
次のステップ:チームで「顧客セグメントの地図」を再描画する
個人の内省から得た気づきは、チームの対話を通じて初めて、組織の力へと昇華する。以下の論点を、次の戦略会議のテーブルに乗せてみてはどうだろうか。
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私たちの顧客を、「AIリテラシー」という新しい軸でセグメント分けすることは可能か。そして、それぞれのセグメントに対して、どのような価値提案が最も響くだろうか。
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AIリテラシーの低い層に対しては、製品がもたらす「魔法のような体験」を強調するストーリーテリングが有効かもしれない。その際、誇大広告や誤解を招く表現を避けるための倫理的なガイドラインは何か。
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AIリテラシーの高い層に対しては、むしろAIの「魔法」を解き明かし、その高度な「能力」や「信頼性」を訴求するアプローチが求められるだろう。彼らを、製品の改善に協力してくれる「共創パートナー」として巻き込むことはできないか。
#️⃣【タグ】
人工知能(AI), 消費者行動, AIリテラシー, マーケティング戦略, テクノロジー受容
📖【書誌情報】
Tully, S. M., Longoni, C., & Appel, G. (2025). Lower artificial intelligence literacy predicts greater AI receptivity. Journal of Marketing, 89(5), 1–20.